テーマ:徒然日記(23462)
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1月中頃には退院し、実家で介護生活となる予定であった父親が2月19 日早朝に病院で亡くなった。 6年前程から原因不明の貧血と関節痛に悩まされていたのだが、昨年9月 末に倒れ、一ヶ月間に及ぶ検査入院の結果、高齢の男性には稀な膠原病 と膀胱癌が発見された。しかし、82歳という高齢で弱った体がその後の 治療に耐えられなかったのだと思う。糖尿病もあったので、死亡間際で は幾つもの病名が家族への説明書類に書かれていた。 実に5ヶ月間に及ぶ闘病入院生活だった。 途中で父の心が折れかけた事もあったが、私や孫娘の励ましで立ち直っ た後は父は最後まで生きる望みを捨てなかった。リハビリが出来なくな る容態の時でも、家へ帰り自分の足で歩く事を望んだ彼はベッドの上で 常に手足を動かしていた。 辛く、寂しく、痛かったろうなと今になって思う。
父親と息子は反目しあうものの様で、我が家も例外では無く頑固な父と 私は頻繁にぶつかりよく喧嘩となった。私が50を過ぎた歳になっても 互いに素直になれない関係が続いていたのだ。母親の体が弱く、弟も重 度の糖尿病なので父の入院中は仕方なく私が1日おきに病院へ通ってい たのだが、ある時期を過ぎてから父親が 「ありがとう」「感謝している」「よろしくお願いするよ」という言葉 を口にする様になった。 最初は私も戸惑い、照れもあって素直に其の言葉に反応出来なかったの だが、次第に「頑張って直して家へかえろうよ」と素直に言える関係に なっていた。
亡くなる前日、担当医に「今夜は付いてあげていて下さい」と言われ 病院に簡易ベッドを用意して頂いて父と枕を並べて寝た。 高熱も出ていて、意識が混沌とし呼吸が苦しそうだ。 午前2時までは覚えているが、横で父親の苦しそうな顔を見ながらも私 はウトウトと寝てしまった・・・のだが、 午前4時半頃に私は急に頭がクリアーになる様な不思議な感覚で目が覚 めた。と、同時に看護師が入って来て「血圧が下がって来ていて、呼吸 も途切れ途切れなのでそろそろ・・・」と私に告げたのだ。 「手を握り呼びかけてあげて下さい」と言い残して看護師が医師を呼び に出て行く。 言われた通りに私は父の手を握り、無意識にこう呼びかけていた 「よく頑張ったな親父、偉かったぞっ、 よくやった!よくやった!」と・・・ 手が少し冷たくなってきて、呼吸が止まったのが解かった。額に手を 当ててみると高熱を出していた所為かまだ暖かいのだ。手を額に当てて 私はまた語りかけていた。 「親父らしく逝ったな。良く頑張った、良くやった」と・・・ 変な言い方に聞こえるかも知れないが、父親に対して素直な言葉が出る 自分も少し誇らしい心持がした。 やがて医師が来て一通り診てから私に告げた 「2月19日、午前5時丁度、ご臨終です。」 苦しんでいたのが嘘の様な、安らかで 良い死に顔だった。
父親にとって最後の五ヶ月間は、私の人生にとって大切なものを見直さ せてくれる貴重な五ヶ月間であったと思う。 そしてこれは父親の最後の薫陶であったのだなと感じる。
現在23日24日の通夜葬儀に向けて金勘定ばかりしている。 私自身は「直葬・散骨」を遺言し僧侶も葬儀も拒否しているが、墓を買 って檀家となっている父親の価値観は大事にして送ってやろうと思う。 それにしても寺に墓を持っていると、葬儀にこうも金が掛かるとは予 想外だった。嘗て労働組合や友好会等の役員もやっていて、町会でも 古株の父親の人間関係も大変だ。 どうにも家族葬という訳にも行かない事態となっている。 正直、今後の生活に大いに影響するが、この問題性を語る事は後日に譲 ることにする。 次回は父親の供養の為に、彼個人を語りたいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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