テーマ:徒然日記(23462)
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・・・前回に続く 大まかな現場での段取りだけの理解しかないのに、一人前に仕事が出来 る様になる前に父親は仕事を請け負い始めた。気の弱い私などから見れ ば「蛮勇」に近いが、仕事の出来る職人を頼み、自分は薄利で回しなが ら仕事を覚えていったらしい。 理屈では無く、家族を養い、食う為に懸命だったのだと思う。
それでも東京オリンピックに向けて始まった日本の高度成長期が追い風 になり、小さいながらも仕事は順調に伸びていった。父親は少し強引だ が他者を取り込む求心力もあり、労働運動に関わっていなければ結構中 小企業の社長レベルにはなれた様に思う。 しかし、仕事以外の時間は全て組合活動に充てていたと言って過言でも ないし、職人に手間を払って集会やデモに参加している様では、仕事も 大きくならないし金も残るハズが無い。 何となくではあるが父には「プロレタリアート」以外の者になる事に抵 抗があったのかもしれない。 実際、母親は金の工面で大変だったらしい。
ここで不幸だったなと私が思ったのは、本来の父親は実際には「権力志 向」の人間であったという事だと思う。社会の矛盾は頭では理解し、労 働者は団結しなければならないと「国家・企業」という権力に対峙して いたが、実際には日常の言動から父親の「権力志向」はかなり強いであ ろう事がよく解かった。現役で仕事をしていた頃の慢性の不機嫌さは、 そんな自己矛盾の故であったのかも知れない。 私の様に苦労知らずで「日々平穏に暮らせればそれでいい」という様な 人間とは対極の人生観を隠して悶々としていた様にも思う。 今になって思えば父親の数奇な人生に、ある種の同情も禁じえない。
医師の夢を断念した父は、私を医者にしたかった。 私が保育園の頃の家は本だらけであり、そこに父の暗黙の希望を見て取 れる。 ジェンナーやコッホ、野口英世、北里柴三郎etc・・・医者や化学者で あった少年向けの偉人伝の本が多かった。昔の人は本を読むことイコー ル勉強という思いが強い様で、学校の勉強等殆どしませんでしたが、父 が用意した本を手当たり次第に読みまくっていれば彼は喜んでいたので 、要領の良い私は苦痛でない読書ばかりしていました。 だから私の小学校での成績は国語と社会と体育以外はボロボロでした。 少年少女世界文学全集でたった一冊家にあったのが「ロシアの巻」。 父親らしい選択ですが、実はこれが後の私と、私と父親の関係を決定付 けるものになったかもしれません。 偉大な医師、化学者の伝記を読んでも心動かさなかった私が食い付いた のは、ツルゲーネフの「父と子」でした。 当然子供向けに書かれたものですが其処にあった「バザーロフ」と「虚 無主義」は私を虜にしました。得体が知れないニヒリズムの匂いに私は 参ってしまったのです。 この後、中学生以降、文学に傾倒していく私は父親との距離が開いて行 きます。 中途半端な文学青年は、何時の世も生意気で無力であるのに「批判者」 を気取るものですが、私のそのターゲットが「抑圧者」としての父親に 向かったのは余りにも歴史的、心理学的に普通で一般的に過ぎ、父親の 亡くなった今振り返れば、自分の無才が致命的に情け無く思われるばか りです。
葬式の時、相談に乗っていただいた近所の工務店の社長に「お兄ちゃん が大学を辞めた時の親父のガッカリ振りはなかったぞ」と言われました。 私は「卒業しても大した事にはならない」等と理屈をつけてサッサと退 学してしまったのですが、両親の心情も、自分の将来への展望も、何も 考えていなかった様に思います。 もう三十数年前の事になるのですが、霊前でその事も謝りました。
大学中退後の私は、紆余曲折を経て父親の仕事を手伝う様になります。 (To Be Continued…)
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