テーマ:徒然日記(23463)
カテゴリ:カテゴリ未分類
少し前に録画しておいたマイケル・サンデルのNHK特番を見た。 米・中・日の学生を衛星でつないでの「白熱教室」という訳だが、今回 は見るべきものがあった様に思う。
3月11日以降どうにも自分の精神が病んでいる様に思え・・・ まぁ、あれだけの大災害に原発の被害も加わって多くの同胞が命を落と したり不幸な境遇にあったりするのだから、(今の処)当事者でない私 の心にも傷が残るのは当然といえば当然なのだが・・・なにかこう、 今日まで釈然としない怒りと不満が精神に覆い被さっている感じだ。 私は何を不満に思い、何に憤っているのか? 今回の特番は、少しだけだがそんな私の心象にロジカルな方向からの光 をあててくれた様だ。
まず、南北戦争時代の米国での「徴兵制度」において、金銭等の手段で 代理の人間を戦地へ送る事が許されていたという事例を出し、マイケル ・サンデルがその是非を問う。 「両者に合意があったとしても、両者間の境遇(条件)が平等では無い のだから非だ」と言う意見が当然出る。 「両者が完全に平等な関係性などありえないのだからビジネスライクな 観点から是だ」という意見も当然出る。 そんな二元的・二次元的な意見の応酬に成りそうな気配の時に、 「不平等な合意が許されることもあるだろうが、しかし、代理を送った 被徴兵者は代理兵士の生命を守る為に和平へ尽力すべきだ。」という東 大大学院生の日本女性の意見が議論を立体化した。 マイケル・サンデルは「我が意を得たり」とばかりに福島原発の存在性 に文脈を切り替えた。 原発そのものに肯定的な学生でも、自分の居住する近くに原発が出来る 事は肯定出来ないという意見を確認した上で、大都会東京に送電する為 に地方に創られた「リスクのアウトソーシング」としての福島原発の存 在性を問う展開となった。 最後に「不平等な合意でのリスクのアウトソーシングが許される事もあ るだろう。しかし、金銭や如何なる対価を払っても、その道義的責任を 免れる事は無いのだ。」と(いうような処で?)番組は結ばれた。
成る程と思う。 現在、我々日本人が問われているのは原発そのものの是非では無いのだ ろう。 何故、我々は今回の様な事態になるまで福島や、それ以外の原発建設地 域に無頓着でいられたのだろうか? 助成金や雇用促進という対価でチャラだと高を括っていたのだろうか? 沖縄普天間の危険な状況も同じ様な理屈で成り立ってしまったのだろう か? 「思いの無い種」による徒花が日本中に生い茂ってしまっている。 to be continued
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|