テーマ:政治について(20207)
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八ッ場ダム建設計画復活で世の中騒々しい
私は反対の立場をとって来たが、賛否拗れて此処まで来ても政府決定で ヤルと決めたのならば、モタモタしていないで雑音に惑わされずサッサ と行動すれば良いと思う。 インフラである八ッ場ダムの有用性の是非そのものは、社会背景と利害 関係者の関係性で流動的なものであるという認識で良いと思う。どちら の選択が社会正義かなどという論点で語られるものでは無いだろう。 それより、「意思決定出来ない」「決めても行動出来ない」という幼稚 な国家ガバナンスの問題性の方が遥かに深刻だと感じる。 「無責任な先送り」が齎した莫大な時間と費用の損失は、八ッ場ダム周 辺地域住民は本より国家国民全てに付け回されるものだ。 ところで、この問題だけはどうなったのか事前にハッキリしてもらわな ければ困る。 http://plaza.rakuten.co.jp/unskilfulsloter/diary/200912240000/ 東京都の石原慎太郎氏、大阪府の橋下氏と、日本の2大都市での直接選 挙で選ばれた首長二人を見る時、これまでの「集合知」を偏重した日本 型民主主義の限界を国民自らが感じている事が解る。綺麗事の羅列で済 む野党なら兎も角、政権政党が元来不可能な八方美人的合意を得る為に 不毛な論議を繰り返す愚かさに限界を感じているのだ。 橋下氏が「独裁者」という言葉を使った。 これは言うまでもないが「反民主主義者」という事では無い。おそらく 日本人だけが信じている「理想論的民主主義」に否定的であるという事 なのだろう。理想論が民主主義自体を貶め危うくする事に彼は気付いて いる。「民主主義の幻想」を制御出来る指導者をして「独裁者」と呼ば れるなら彼は「独裁者」になるべきだ。 よく比較されるが、発祥地である欧米の民主主義と日本的民主主義の概 念の決定的違いは何なのだろうか? 一言では言えないのだが、象徴的な例はある。 民主主義を唱える国家は全て「法治国家」であり国民は法による支配を 受けている。 その国民の「法に則った問題解決手法」に原初的な「民主主義への心構 え」が見てとれる様に思われるのだ。 一般に欧米型仲裁・日本型調停というイメージがある。 「仲裁」というのは問題が起きた時に仲裁人が判定し、当事者の合意は 必要としない。不服があれば不利益者となる人間が再度仲裁を申し出れ ば良いという事だ。 「調停」とは助言者が当事者を話し合わせ、意見を調整して合意に至ら せる。当然日本でも裁判判決は仲裁型だが、裁判に至らぬ紛争解決は公 私を問わず調停が選択される。(実は日本の裁判制度にも調停型の精神 性が影響を与えていて、日本の裁判判決までの長期化の原因になってい る節がある。) 人間の本質への理解の違い、自然法や習慣法そのものへの認識の違いな のだろうが、欧米の其れには裁定者(統治者)と、其の裁定を受け入れ るという当事者(国民)の社会的事前合意がハッキリと見て取れる。 我々日本人も「民主主義」をお題目では無く、自明性を捨てて再認識す べきなのだ。 似た様な記事が以前にもあった http://plaza.rakuten.co.jp/unskilfulsloter/diary/201002280002/ 現在の官僚達の有様を見れば解るが、我が国は国家に奉仕する優秀なエ リートの育成に失敗したのだ。彼等は日本型民主主義が生み出した鬼子 であり、現在其れを飯の種に国益を損ね続けている。 実はこの事実だけでも国家の破綻といえるが、その上に国家のリーダ ーまで無能では国家再生など望むべくもない。 優秀な国家リーダーは降って湧いてはこない。 我々国民が選び 我々国民が育てるのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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