テーマ:徒然日記(23463)
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私の所在の周りでも、現在は桜の花の真っ盛りだ。
私は植物を愛でるタイプの人間では無いが、この時期に幾重にも 満々と咲き付いた花の重みで自らの枝を撓らせる桜の木の様を、 それも何時も見慣れているハズの川の辺に、凡そ数えることも躊躇 われる程に並び立つ桜の木の様を見る度に圧倒されてしまうのだ。 何故に之ほど圧倒的に咲き誇らなければならぬのかと、 想う程に悩ましい。 梶井基次郎は「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる」と表現した。 成る程、なんとも素敵な言い回しに同意するしかないと畏れ入る。 屍体の一体でも埋まっていなければ、桜も之ほど狂った様には咲け ぬだろうと妙に納得させられてしまうのだ。 ひととせの間の、この花の盛る刹那に限って人は桜の木の下へいざ なわれる。 其の下で飲み、歌い踊り、語る人々の多くが自ずから参集したと信 じて疑わず、他意の在るを知る者は少ない。 桜が己の弔いの為に花を咲かせ人をいざなうのだ。 葉桜となり、枝葉と成り果て寂びるその前に、ここぞとばかりに盛 大な弔いを自らが執り行うのだ。 でなければ、 桜の花がこれ程に妖艶に咲き乱れ、 潔く散り切るはずがないではないか・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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