テーマ:徒然日記(23460)
カテゴリ:映画
私は今でもナウシカのテーマが流れただけで胸が熱くなる・・・
ジブリ三部作(実際にはナウシカ制作時はトップクラフトだが)と言われる「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」は宮崎駿氏が長年温め続けて来た思いを紡いで世に問うた壮大な抒情詩だった。そして普遍的テーマを持つこの3作は、今日に至ってはフィクションの域を超えて後世に伝承されるべき叙事詩へと昇華したと私は思う。 この初期の3部作で宮崎氏は自己完結しているのではないかと言われて久しいが、先の引退会見でも、この三部作以降の作品の創作が如何に困難であったかを氏自身も語っていたのが印象的だった。 通常、作家は処女作に其の才能と思いの丈を全て注ぎ込み評価を得る。そして2作目以降で地獄の産みの苦しみを味わうという。処女作の評価が高ければ高い程、その後の作品のクオリティーのハードルは高くなるのだ。小説に例えれば芥川賞や直木賞をとった殆どの作家がその後に鳴かず飛ばずの状態になるのだが、宮崎駿という類稀なる才能は三作連続で芥川賞作品を世に出したに等しく、その後の産みの苦しみは想像に難くない。 三部作に共通して見られる物質文明へのアンチテーゼからの問い建ては、環境問題にしろ、家族の問題にしろ明確で、人間の拠り処としての理解と共感を得やすいものだったと思う。同じテーマを前面に押し立てて四作目以降を創っても相当の作品は出来たと思うのだが、宮崎駿のアーティストとしてのプライドは苦難の道を選んだ。「真理」とか「正義」といった類型を嫌い「相対的価値観」という表現者としては修羅の道を選んだ。 「魔女の宅急便」以降の作品群は、三部作的普遍的テーマと、ポストモダン的な相対的価値観にサンドイッチされた状況での非常に難しい中で生み出されて来た力作の様に思う。 ジブリファンを自認する私でも全ての宮崎駿監督作品を支持している訳ではないのだが、大きく社会を考える時にでも、私個人の卑近な問題を考える時にでも参照されるべきものを発信し続けているという意味では全て評価されるべき作品であると思う。 「子供達に此の世は生きるに値するという事を訴え続けて来た」という宮崎氏の言葉は重い。これは実社会には其れに逆行する風潮が存在する事を宮崎氏自身が感じていた事を意味するのだろう。この類まれな天才アーティストは作品によって社会に蔓延するニヒリズムから子供達を守り、人間の可能性を表現し続けてきたのだ。そして、宮崎氏自身のアーティストとしての感性も、社会の閉塞感からニヒリズムに浸食される危険性を感じていたのだろう。 実は私自身が一番数多く繰り返し見返しているジブリ作品が「紅の豚」なのだが、「飛べない豚は ただの豚だ」という台詞が宮崎氏自身への激励であるという印象が拭えない。「描けない作家は ただの人だ」ともがき苦しみ描き続ける氏の姿と何となくダブルのだ。 「長編アニメを引退して自由になる」という。今後やりたい事は「その延長線上に無い」と宮崎氏は断言しているが、彼は「描く事」を止められないと私は思う。 昨年亡くなった新藤兼人氏が死ぬ直前まで「私は書く病気だ」と名言を吐いていたが、宮崎駿氏も同じ種類の作家だ。それが短編アニメなのか、コミックなのか脚本なのか解らないが、私達に何らかの刺激を与えてくれる活動である事を期待したいなと思う。 故に引退に当っても「お疲れ様でした」だのといった完了形の言葉は宮崎氏には似合わないので掛ける気は無いし、実際報道関係にもそうした言葉は殆ど見受けられないのが面白い。 ジブリは今後どうなってしまうのだろう?という声があるが心配はいらないだろう。 ジブリは数多くの才能を内包する集団となり、「ゲド戦記」でこけた吾郎氏も「コクリコ坂から」という父親に劣らない秀作に辿りついて私は大いに期待している。父子間の確執なんぞに関わり患っていられるウチは親父の方が元気な証拠だから問題はないだろう。 今年はもう一本高畑監督の作品が控えているし、来年に決まっているという作品も楽しみだ。 新制ジブリに期待しましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.09.08 03:15:43
コメント(0) | コメントを書く
[映画] カテゴリの最新記事
|
|