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カテゴリ:信仰
最近教えられたこと・・・
suchadaさんの日記より。 === 今朝こんなことばにはっとしました。 「(荒野での40年間)イスラエルの人たちの一日は 先が少しも見えない厚い雲を目にすることから 始まりました。(出エジプト13:21)」 つい先日も学んだばかりの箇所ですが てっきり頭上の雲だと思い込んでいたのです。 先の見えない毎日を40年も続けたなんて・・。 私は前が見えないのはとても苦手です。 目標・意味がはっきりしていないと気力がわかないタイプ。 全体のどの部分を自分が担っているのか、把握していたい。 今していることの意味をいつでも知っていたいのです。 わからなくても誠実に仕事をこなす、というのは 私にとっては限りなく苦手な領域です。 この性格は、強さでもあるけれど 同時に私の弱さでもあるんだなと はっとさせられました。 厚い雲のただ中に、主を見ることができるか、 自分の目には先が見えなくても 信頼して日々与えられた働きを忠実に続けていけるか、 そんなことを問われたような気がします。 そういえば、神学校を卒業するときだったか、 洗礼を受けた教会の牧師先生からこのみことばを 贈っていただきました。 (先生、見抜いてたんだな・・。) 「小さなことに忠実な者は大きなことにも忠実です」 === 最近、将来の希望を失ったように感じさせられる出来事があり、 無気力に陥ってしまいました。 自分が携わっている一つ一つのことについて、 ただ空しく感じてしまう・・・ 心のエネルギーが枯渇しまったかのような状態。 先が見えなくても、 日々神様に信頼して、忠実に歩んでいく。 なかなか出来ないことだなあと思います。 もう一つ、神学生である友人の書評が ある小さな雑誌に掲載されましたが、その中の一節。 『読み終えて気付かされました。 私は自分の熱心を支えに立とうとしていた、 主よりも先に歩もうとしていたのだ。 主が私の中に生きてくださって、先立ってくださっている。 その恵みの中に生かされている事実を 主ご自身が教えようと、私の心に触れてくださり 御手に委ねて歩むよう示してくださった。 神様の深い摂理がここにもいきている!』 神さまが私の前に立って、導いておられるということ。 何でも自分でやろう、自分の熱心によって成し遂げようと いつも行動しがちな私に、 この2人の友人の文章によって 大切なことを教えてもらった気がしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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