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カテゴリ:信仰
横山幹雄先生のニックネームはミッキー、またはゴキブリ先生・・
その由来を聞きたいと思うのはワタシだけ? 2日目の晩のチャレンジタイム2。 まず開かれた聖書は 「キリストは私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。 それによって私たちに愛がわかったのです。 ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」 第1ヨハネ3:16 人は何のために生まれてくるのか。 ある3才の男の子が、「ママにあうために生まれてきたんだよ」と言ったそうです。 人は愛し、愛されるために生まれてきました。 愛し、愛される者となるための学びは5通りあります。 1) 共感能力 「喜ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣く(ローマ12:5)」 キリストの愛を人々に運ぶことが出来るために、そのような人になりたいです。 愛とは想像力、と先生は言われました。 想像力の欠如は愛の欠如という言葉があります。 常に相手の立場を想像して配慮することが求められているのですね。 2) ありのまま受け入れること 3) 赦しあうこと 「互いに忍びあい、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、 互いに赦しあいなさい。主があなたを赦してくださったように、 あなたがたもそうしなさい(コロサイ3:13)」 4) 愛すること “好き・嫌い”は感情なので、環境によってコロコロ変わります。 しかし、好きでない相手も“愛する”ことは出来るといいます。 なぜなら、愛は意思だから。 横山先生は、隣家の飼い犬ポチがあまりにもうるさく鳴きまくるのに我慢ならず、 ポチを殺してやりたいとまで思っていたそうです。 ある時、以前にご自分がなさったメッセージで、 「芝生に後から後から生えてくるどうにも出来ないタンポポ、 始末できないのならばタンポポを愛することを学べばいい」という話を思い出し、 ポチに対して愛することを始めたそうです。 “憤り”という反応を選び取っていたのは自分だということに気付かれたのだと。 ポチを愛するようになり、最初は戸惑って後ずさりしていたポチも やがて横山先生を見ると大喜びでかけよってきて、顔中なめまわし・・・ 「愛とはくさいことだなあ」と、皆を笑わせておられました。 それから、ポチのうるさい遠吠えが無くなったかというとそうではないのですが、 それに対する横山先生の気持ちが180度代わったんですね。「愛するものの声だ!」と・・ 5) 愛されることを 人には4つのタイプがあるそうです。 第1「助けられるだけ助けてもらう、甘えのタイプ」 第2「助けもしないし、助けられもしない、クールなタイプ」 第3「よく助けるが、自分が助けられるのはイヤ!・・これ実はクリスチャンにありがち・・」 第4「よく助け、よく助けられる」 これこそが、愛されることをよく学んでいる、実は人として成熟しているタイプなんですね。 横山先生は言われます。この5つことは、本来私たちにはもともとないもの。 そう、イエス様の姿そのものです。私たちの中には、ないのです。 *********** 人として本当に幸せに生きるためには、イエス様がそうだったように、 愛し、愛されて生きる。 そのための学びは、厳しいこともあるかもしれません。 私たち一人一人に、“ポチ”のような存在は必ず近くにあります。 その人たちを、好きにならなくても、意思をもって愛することは出来るはず・・ 神様、自分自身の力では、それは到底できるはずもありません。 どうぞ、あなたの愛を私に満たしてくださり、 赦し、愛することが出来るように助けてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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