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カテゴリ:礼拝メッセージ
Uooたち夫婦は、今年の夏から
『豊田みのり教会』というところに通っています。 牧師である井森先生のメッセージと、 礼拝後の皆さんとの語らいがとても楽しみで、 日曜が来るのが待ち遠しくてしかたありません(^o^) 毎週出来るかどうか分かりませんが、 礼拝のメッセージで教えられたことや感じたことを 徒然と書いていけたらと思います。 今週のメッセージは、旧約聖書イザヤ7章14節から。 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。 見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を 『インマヌエル』と名づける。 イザヤ書というのは、エレミヤ書、エゼキエル書と共に 大預言書と呼ばれ、キリスト教会の中で意義深く捕らえられているそうです。 イザヤ書って66章あるんですが、この66という数字がとても不思議。 聖書は旧約39章、新約27章で合計66巻から成っています。 (3x9=27って覚えるんですね^^) おもしろいことに、イザヤ書自体もなんと、39章で一区切りになっていて、 しかも旧約の流れにぴったり沿うかのようなんですって。 そして、40章からまたなんと、新約の流れにぴったりだそうです。 そういうわけで、イザヤ書は『第5福音書』ともいわれるそうです。 (ご存知、福音書はマルコ・マタイ・ルカ・ヨハネの4つですね) イザヤ書の中で、突然現れる、「救い主誕生」の預言。 この後イエスの時代になるまでの800年間、誰もその意味の分かる者は ありませんでした。 しかし、まさにその預言の成就を証言しているのが、 マタイです。 マリヤのフィアンセ、ヨセフに対しての天使の言葉・・・ 「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。 この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」 この全ての出来事は、主が預言者を通して言われたことが 成就するためであった。 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと よばれる」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である)マタイ1:21~23 待降節「アドベント」に入りました。 この期間、私たちのテーマは「待つ」ということです。 西欧の子供たちは、アドベントカレンダーの扉を毎日一個ずつあけていきます。 次の扉も開けたい!でも待たなくてはいけません。 12月1日、ツリーの根元に、子供たちへのプレゼントを置いて、 クリスマス当日まで待たせます。 この期間、子供も大人も、待つということを学ぶのですね。 待つということには、いろんな種類があります。 たとえば、試験の結果を待つということ。合否について心配しながら待つというのは けっこう辛いことかも。 待たされる時間が長くなればなるほど、私たちの恐れ、不安は募ります。 なぜなら、私たちは、本能的に、時間がたつほど自分たちの終わりが近づき、 美しさは損なわれ、力が衰えていくことを知っているから。 でも、イエス様を待つということはどうでしょう。 それはまさに逆転です。 イエスがもたらしてくれる、希望と喜び。 それを「わくわくしながら」待つということを学ぶのです。 イエスの最善を信じて待つこと。 このアドベントに学びたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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