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カテゴリ:礼拝メッセージ
一昨日の礼拝メッセージはルカ1章5~38節より。
タイトル「2人の妊婦」 ルカの福音書1章には、2人の妊婦について書かれています。 一人は、イエスの母マリア。 もう一人は、マリアの親戚であるエリサベツ・・夫ザカリヤは宮に仕える祭司でした。 エリサベツはマリアより6ヶ月前に既に身ごもっているので、 その子ヨハネ(バプテスマのヨハネ)はイエスと6ヶ月違いの親戚ということになります。 マリアとエリサベツ。とても対照的な2人です。 マリアのフィアンセ、ヨセフは大工。当時低い地位の仕事といわれていました。 エリサベツの夫ザカリヤは祭司。神の御用をする高い地位です。 マリアは妊娠当時、10代前半だったそうです。 エリサベツは90は越えていただろうとのこと。 マリアはヨセフというフィアンセがいたものの、未婚でした。 エリサベツ夫婦は結婚して何十年もたっていたことでしょう。 地位も、年齢も、立場も、すべて対照的なこの2組のカップルに、 同じ天使が現れて、同じメッセージを告げました。「ありえない話」を、です。 不妊だったザカリア・エリサベツ夫婦に男の子が与えられるということ。 そしてまだ未婚であったマリアにも、男の子が与えられると・・・ それぞれ、ヨハネとイエスという名前、 そしてそれぞれの使命まで、天使は告げ知らせています。 天使の言葉に対しての反応も、とても対照的でした。 ザカリヤは、祭司であって、神の業を知っていたはずなのに、 「それはありえない!」と思った・・・そして「しるし」として 一定期間、言葉を話せなくなりました。それは一つの「試練」だったのでしょう。 一方マリアは、戸惑いつつも、 「神にとって不可能なことは一つもありません」という天使の言葉に、 「おことばどおりこの身になりますように」と全て神様にお任せしました。 不可能と思えるこの二つの妊娠物語は、 命は神に与えられるものだということを教えてくれます。 連日ニュースで、相手の連れ子を殺してしまうという事件が頻発しているのを耳にします。 結婚を控えたあるカップルの男性が、相手女性の連れ子に対して自分は大丈夫だろうかと 心配で相談をされたそうです。 アドバイスは「自分の子への理解を変える」ことが予防策につながる、と。 多くの人々は、血がつながっていないからそういう事件になると考えますが、 「神によって与えられた子」だと捉えるべきだと・・ 血のつながりは安心感をもたらすかもしれませんが、真理は与えません。 それぞれの関係は、神が作っている一つ一つの関係であるということを思い出すときに、 親子の関係は変わってくるものなのかもしれません。 私たちは一人一人、「造られた」存在。命は与えられたものです。 しかし、ザカリアはそれを信じられなかったのです。 天使は、まだ生まれてもいない子の名前、そして使命までも告げています。 それは、神によって命が与えられた私たちには、必ず使命があるということ。 存在しているということは、使命があるということなのです。 ======= Uoo夫婦も不妊といわれ、子供を願いつづけながらも まだ与えられていません。 命は神様に与えられるものだということを改めて知ることが出来、 感謝なメッセージでした。 実は、自分たちの子供が望めないのであれば、 養子縁組という方法が神様の導きなのかもしれないと ずっと祈り続けています。 血のつながりのない子を愛せるだろうかという不安がありますが、 一つ一つの関係は神様によって造られるものという言葉は Uooたちにとって、心揺さぶられるメッセージでした。 「子供をつくる」 日本にしかない表現だそうです。命は造るものではありません。 命は与えられるもの。神様がくれた宝物。 神様のときを静かに待ちたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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