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カテゴリ:信仰
もし、人間に、怒りの感情がなくなったら、どうなるのだろう。
「怒り」とは、天国には無いものらしい。 この世が、罪に満ちた世界だからこそあるもの。 そして、これを通してしか、私たちは、神を見ることができない。 怒りであるとか、困難そのものによって・・・ 「なぜこのようなことが起こるのでしょうか」 と、神を仰ぎ見るのだ。 はびこる悪が、なんの裁きをうけることもなく、 この世で栄えているように見えることがある。 「このような悪を、なぜ、神は許しているのだろうか」 といぶかりたくなるような有様・・ しかし、そのままにされているということは、 すでに神に裁かれていることのしるし。 「神は彼らの心をかたくなにされた」とあるように、 神は人間の罪の思うままにさせ、その結果をおわせる。 それが最も厳しい裁きなのだ。 だからこそ、 私たちは怒っても、怒りにまかせて罪を犯すようなことはせず、 かえって神により頼み、全てを委ねていこう。 <礼拝後の学びで感じたこと> ***聖書の言葉*** 怒っても、罪を犯してはなりません。 日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。(エペソ4・26) 主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。 だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。 収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。 麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』(マタイ13・29-30) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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