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Uooの三日坊主Diary

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2007.04.15
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カテゴリ:礼拝メッセージ
今日の礼拝のメッセージは、マルコ3章7~19節より、
「神の国をしらせるために」豊田みのり教会にて 井森牧師のメッセージ

弟子達と共に、湖の方に立ち去られたイエス。それにおびただしい群衆が従っていきました。
イエスは、群集に押しつぶされないため、弟子達に小舟を用意させます。
それは、イエスが多くの癒しを行なったことを聞いた病気に悩む人々が、
彼に触れようとして押し寄せたから。。
その後イエスは山に登り、12人の弟子を任命します。
ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、
アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、そしてイスカリオテのユダ。

今までイエスは、決められた範囲で伝道していました。
ここにきて、多くの場所から、人々がイエスに会いにきたのです。
イドマヤ、ティルス、シドンとあるその地名は、その距離100KM以上。
そんな遠い場所から、人々は歩いて、イエスに会うためにやってきました。

彼らは、イエスが病気を癒してくれることを期待してやってきました。
「救い主」と捉えていたでしょう。

ところで、救い主・・メシヤとは何でしょうか。
救い主と聞いたときに、普通人々は何を思い浮かべるか。
100%の人が、自分の病気を治してくれるなど、自分の願いをかなえてくれる人だと答えます。
イエスの生きたこの時代のユダヤは、ローマの圧政下にあり、ローマを倒し、
自分達自身での自国の支配を実現する人をメシヤだと考えました。

当時の人々、そして私たちは、メシヤ像の誤解をしています。
私たちも、メシヤ像の確認をする必要があります。

ところで、日本の宣教状況は、大変な危機的、そして異常事態にあります。
これだけ自由に、クリスマス、母の日、バレンタインなど、
宣教のチャンスが多く許されているのにかかわらず、
牧師の数は数十年後には半分以下になるといわれ、
クリスチャン人口は1%の枠を出ることがありません。
イスラム圏でさえキリスト教会があるのに!
(そこではクリスチャンであることは命をかけることです)

いがみあっている教団教派は一つになるべきだ、弱い教会が集まって強くなるべきだ、
という議論が交わされます。しかしそれは本当でしょうか?

日本の宣教の悲惨さ、異常さ、これこそ、神のみこころではないのでしょうか。

今、私たちは、「どうしたらいいのだろうか?」ではなく、「これは一体何なのか」と考え、
問い直すことが最も求められているのではないでしょうか。
今こそ、本当のメシヤ像を確認するべきだという、クリスチャンへの警告なのです。

私たちクリスチャンは、「罪・神・救い」の学びをしてきましたが、
実のところ、よく分かっていないのです。

救い主とは、「私の願いを聞いてくれる人」という理解をもし私たちがしているなら、
イエスはこう言うでしょう。
「あなたのメシヤ像を人に伝えるな。それは間違っている」

イエスが何を行なってきたのかを、思い出してみましょう。
全身全霊をかけて、人々に奉仕し、献身し、人々に非難され、蔑まれ、
最後には十字架にかけられました。
これがメシヤの本当の姿です。それは、普通には信じられないこと!
人々に徹底的に蔑まれた、哀れな姿・・・

人は願ったことがありません。このようなメシヤ像を。
それは罪があるからです。
出来れば、自分の思い通りになってほしいと考えるように、人間は出来ているのです。

イエスは、
「わたしと共に行きましょう。共に歩くなら、私と同じように献身が出来、
必要なら十字架にさえ人々のためにつくことが出来るようになる」と言われます。
しかしそれは、誰も望まないこと。

私たちは今、全く変えられたメシヤ像をもって、主を見つめなければいけません。

この世は、誰もが自分中心の生き方をしています。
しかしこの世で、イエスのように生きたいと願う人が一人でも増えていけば・・・

この社会は変わります。

先人達は、こうしたら社会が良くなると考え、多くのことが行なわれてきましたが、
何一つ良くなっていません。
奉仕・献身・十字架が喜びとなる人生。あなたもイエスと共に、それをすることが出来ます。

私たちにとっては、イエスはお手本です。
イエスは、「私を見つづけなさい、そのようにしてあげるから」と言われます。

そして12人の弟子を選ばれました。

キリスト教会が、交わりから始まったのは、大きな意味があります。
一人で始めたのではありません。
弟子を呼び集められ、イエスのそれからの3年は、弟子の訓練のためにありました。

イエスは、メガチャーチを建てようとされませんでした。
わずか12人の訓練のためだけに、その3年を費やされたのです。
そしてそれは、交わりから始めました。

シモン・ペテロ、ヤコブ、ヨハネは、漁師、身分の低い職業といわれていました。
マタイは、収税人で、誰からも嫌われていました。
熱心党のシモン、この熱心党とは、決してローマとは融合しない、
つまり収税人のマタイとは全く反対の立場でした。
このように、12人の弟子はそれぞれ全くバラバラの人々。

普通は、できれば自分の気の合う、自分を尊敬し、
仲のいい人々を集めた方がいいのではないでしょうか。
自分と気があう、あわないではなく、「神によって選ばれた人」というくくりで相手を見ること。
この人とどういうパートナーシップがとれるかを考えること。
「自分中心」ではなく「主の選び」に目をとめること。

そうです、この12人の中には、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダも含まれていました。
自分中心ではない世界を、このような形でイエスは見せてくださるのです。

私たちは、原点に帰って、正しいメシヤ像をしっかりもって、
罪とは?
神とは?
救いとはどんなに凄いことなのか?
を改めて考えていくこと、それこそが、日本の現状に対する、
最も大切なことなのです。






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Last updated  2007.04.16 10:01:57
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