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Uooの三日坊主Diary

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2007.04.24
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カテゴリ:礼拝メッセージ
今週の礼拝のメッセージは、マルコ3章20節~35節より。

*****イエスについて「気が変になっている」という噂がたって、
心配した家族・・母マリアや兄弟達・・がイエスに会いにやってきました。
律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言っていたからです。
イエスの家族が人をやってイエスを呼ばせたとき、イエスは言いました。
「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか。
見なさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
神の御心を行なう人こそ、わたしの兄弟、また母なのだ」*****


マルコは、この福音書をとても急いで書きました。
そのため当然、いろいろ抜けがあるようです。
私たちは、それを補充しながら読んでいかなければなりません。

この箇所の登場人物は、イエス、身内のもの、そして宗教指導者たちです。

イエスは30歳まで、大工として生活しました。
9人の兄弟がいて、かなりの大所帯ではありますが、当時としては平均的です。
福音書には、母と兄弟達についての記事はありますが、
父についての記載はありません。早くに亡くなったのではと言われています。
(イエス12歳の宮詣の出来事以来、父ヨセフについての記事はありません)
イエスは長男ですから、大工として、下の兄弟たちを育ててきたのでしょう。

30歳といえば、普通は結婚をしています。
ですから、当時としては、ちょっと変わっていたといえるでしょう。
ある日突然、家を飛び出し、巡回伝道者になります。
しかし、経済的にいえば、それはとても馬鹿馬鹿しいこと。
大工をしている方が、よっぽどましな生活が出来たはずです。
そして、イエスの言動は、時の為政者のカンにさわりました。
イエスが神の言葉を語れば語るほど、その命は危なくなりました。
イエスが殺されるという噂がたち、身内が心配して会いにやってきたのです。

ところで、私たちは、何かの情報を得るとき、
目から入るのが8割、耳からは1割なのだそうです。
現代は、従来のテレビなどに加えてデータ放送などの影響で、
あまりにも情報過多になりすぎてしまい、疲労を覚える人が増えているとか。
私たちは、見た情報によって、ほとんど決定してしまうのです。
最近話題になった、テレビ番組の捏造問題を見れば明らかなように、
目で見たらすぐ信じてしまいます。
外の情報が、全てになってしまうのです。

マリアはイエスを産んだとき、何を思ったでしょうか。
結婚前に、聖霊によってイエスをみごもったマリア。
それ以前に、天使に直接会うなど、彼女は特別な存在でした。
イエスがどういう人物だったのか、一番近くで見てきました。

一旦イエスが、自分から離れて、皆がイエスを批判するようになると、
その噂を聞いてマリアは衝撃を受けたのです。
イエスとずっと一緒にいた母、兄弟ですら・・・

22節には、宗教指導者である律法学者たちが、
「イエスはベルゼブルに取りつかれている」と言った、とありますが、
ベルゼブルとは、シリヤの宗教上の悪魔です。
彼らは、イエスが癒しを行い、人々に勇気を与えるその様子を見て、
これは悪霊のしわざに違いない、と考えました。
イエスの話をたくさん聞いたにも関らず、その「状況」だけ見て判断したのです。

その人の話しをじっくり聞き、理解するのではなく、
パッと見た目をみて相手を判断するというのは、人間の弱さです。

律法学者たち、そしてイエスの家族。
この両者は全く違う立場であり、イエスにとっては敵と味方ではありますが、
両者とも同じ判断力しかありませんでした。

私たちは、イエスの話を聞いています。
しかし、心で受け止めようとしているかどうかは別です。

28、29節に
「人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。
しかし聖霊を冒涜するものは永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う」とあります。

イエスの為したことは神の為したことであるのに、
悪霊のしわざといった、これは赦されないことです。
厳格に、神の業と悪霊の業を見分けよ、と言っているのです。
そうでなければ大変なことになります。

イエスによって、
全ての日は、主が造られ、祝福されています。
結婚式場には、仏滅プランといって、
仏滅の日は格段にお値打ちになるコースがありますが、
主の目には、良い日悪い日という区別もなければ、
良い人悪い人という区別もありません。
それらのことを、全部イエスは打ち壊されました。十字架によって。
それが、基盤となっているのです。

私たちは間違いは、
病気などの悪いことが起こると、「日や場所が悪かった?」と考えることです。
そのように私たちをおとしめようと、一体誰がするのか?
神が? であれば、それは最悪の神です。

聖霊は私たちを祝福しようとしているのに、
それを認めようとしないこと、それが「聖霊を冒涜する」ことです。

人間的な思いで、「これは良いことではないか」と思うことがあります。
臓器移植について、キリスト教会では結論が出ていません。
神が造られたものを、勝手に人間がいじってよいものか、議論しています。
自分の心臓がたとえ弱かったとしても、
それが与えられたことには意味があるのではないか。
癒しは大事です。
しかし、癒されなければそれは悪霊のしわざ、ということではないはず。
私たちは、自分に都合の良いことは「良」悪いことは「悪」というのです。

私たちは、全てのものを見た目で判断してはいけません。
イエスは「わたしの言葉を聞け」といわれるのです。

33節に、母の取次ぎに対してのイエスの言葉、「私の母とは誰だ」
これは、「親子とは何か」という問いかけです。
親子の関係は、自分で選んで決めたわけではありません。
神によって与えられたものです。
何によって繋ぎ合わされているのでしょうか?血でしょうか。
いいえ、どれほど愛しあおうとしているかによって決まるのです。

血の繋がりには意味がありますが、それに依存してしまうことがあります。
「親子だから分かるでしょう?」となってしまいます。
私たちは認識したことがないのです。
それは、神によって造られた関係だということを。
相手を見て、「神が造った存在だ」というように、見たことがないのです。

私たちは、「夫婦とはこんなもの」というイメージで相手を見ます。
しかしイエスは、
「私の兄弟、姉妹、母とは、わたしの言葉を聞いて行なうものだ」といわれます。
神の言葉を共有し、行なおうとしているから、本当の親子になれるのです。
神が介在し、イエスが私を造り、私を導いてくださる方ということを信じる。
そのとき、親子、夫婦、家族になることが出来ます。
そして、それは、「良い、悪い」の判断基準では無くなります。

神が私を贖い、導かれたこと。
そして、相手も、神が贖い、導いておられる。だから家族なのです。

これが真実であれば、私たちをつまづかせるものは、何もありません。
相手を「神が造り、贖い、導いていかれる」存在として見ることが出来るからです。

そして、私たちは、私たちをとりまく環境の全てを神に聞くことが出来ます。
私たちの人生は、そして関係は、全く変えられます。

本当の家族とはこのことです。
イエスに聞きましょう。
私たちも世の中も、全く変えられるのです。







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Last updated  2007.04.24 22:47:04
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