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Uooの三日坊主Diary

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2007.04.28
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カテゴリ:礼拝メッセージ
今年の1月後半から、豊田みのり教会の礼拝では、
「マルコによる福音書」の講解説教をいただいています。
せっかく一つの福音書を最初から学べる機会に恵まれたと思い、
出来るだけ日記にアップしてみようと思い立ちました。
で、既にいくつかアップしてあるのですが、
ノートに眠ったままのメッセージを、何とか思い起こして
書き出してみようと思います。

自分のノート、自分で書いた字なのに読めなかったりショック
何ヶ月もたっていて、内容を忘れていたりして、
間違いがないかいささか不安ですが・・・


第1回目。マルコの福音書1章1~8節。

「物語のはじまり」


***預言者イザヤによって語られた神の言葉。
「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。
荒れ野で叫ぶ者の声がする。主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」
その言葉通り、洗礼者ヨハネが現れ、悔い改めのバプテスマを説きました。
おおくのユダヤ人たちが罪を告白し、洗礼を受けました。ヨハネは言います。
「わたしよりも優れた方が、後から来られる。
わたしは、その方の靴の紐をとく価値もない。
わたしは水であなた方に洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる」***


この福音書は、誰によって、いつ、何のために書かれたのでしょうか?
マルコという人物が書きました。
書かれた時期は、AD46年。
マルコとは、ユダヤ人とギリシャ人の間に生まれた子で、大金持ちでした。
マルコは教会では大きく用いられることはありませんでした。
パウロたちと宣教地に行くたびに帰ってきてしまう弱虫だったのです。
しかしながら、晩年のパウロに
「私の最も信頼できる兄弟マルコ」といわしめた存在です。
そして、4つある福音書の中で、一番最初に書かれたのが、
この「マルコによる福音書」です。

イエスの死後、16年。
マルコはとても焦っていたのではないかと思われます。
なぜなら、パウロやペテロなどは、イエスとほぼ同時期に殉教死していました。
パウロは斬首、ペテロは逆さ磔の刑によって。
イエスを知っているものが、時代の流れと共に誰もいなくなりつつありました。
今、書かなければ!そのような使命がマルコを突き動かしたのでしょう。

マルコの福音書は全16章と短く、その中には、
「急いで」「早く」という言葉が多く用いられています。

2-3節には、預言者イザヤの言葉を引用したとありますが、
実は、この前半は「マラキ書3:1」からの引用であり、
マルコは間違えています。
あまりにも急いで書いたために、このような間違いが起ったと思われます。

1節。「神の子イエスキリストの福音の初め」
イエスを神の子と断定しています。これは当たり前のことでしょうか?
マルコが、それを受け入れるのに、一体どれだけの時間と経験を要したことでしょう。
マルコ福音書の15章には、イエスがローマ兵に捕らえられた時に、
素肌に亜麻布をまとっていた若者が、裸で逃げたという記事がありますが、
これはマルコ本人ではないかといわれています。
イエスの十字架と復活後、ペテロやパウロと会い、いろいろ経験しつつ、
自分の目撃した人物が本当に神だったのかを考えたことでしょう。

マルコは神を信じていました。
しかし、神が人の体をとって自分の目の前に現れるなんて、
簡単に信じられることではありません。

しかし、教会は危機に瀕していました。
パウロもペテロも死んで、世の中はイエスを忘れようとしていたのです。

マルコは書の一番最初に、旧約の預言の言葉を置きます。
それは、イエスが神の子であることを証明するために、
彼の行なった奇跡などを書くのではなく、
「旧約の預言されるとおりになった」ということを証明するためでした。

「主の道を備え、その道筋をまっすぐに」する者の出現。
それが、洗礼者ヨハネでした。
神は、あらかじめ、誰が「神の子」なのかを分かるように、
しるしを与えておられたのです。
その人が現れるときには、必ず、「道備えをする者」が現れること。
自分を神、救い主だと大言壮語する者は、多く現れてきました。
オウム真理教の教祖然り、統一教会の文鮮明、幸福の科学の大川隆法・・・
しかし、本当の救い主には、それと分かる「しるし」がありました。
バプテスマのヨハネは、そのような役割をもって現れました。

いわば、落語の世界の「前座」のようなものです。
前座は、大爆笑をとってはいけません。
ヨハネも、真理そのものを伝えることはせず、
ただ悔い改めのバプテスマをヨルダン川で授けていました。

ところで、バプテスマのヨハネはユダヤ人です。
ユダヤ人にとって、ユダヤ人以外の人はみな異邦人ということになります。

ユダヤ人のみが救われるという観念をもっていた彼らは、
異邦人達も、ユダヤ人になれば救われると考えました。
罪の悔い改めのためにバプテスマを受けるのは、異邦人がユダヤ人になるための儀式で、
ユダヤ人にはバプテスマは必要のないものだったはずなのです。

しかし、ヨハネは、
「神から離れているという事実があるならバプテスマを受けなさい」
と呼びかけ、多くのユダヤ人たちが罪を告白し、洗礼を受けたのです。
この時代、異邦人は殆ど人間ではないとみなしていたユダヤ人たち。
異邦人の奴隷は家畜と一緒の価値しかありませんでした。
しかしヨハネは、
「皆、神の前には等しく罪人である」と説きました。
つまり、当時のユダヤ人たちは、神から遠く離れていました。

罪を皆に知らせ、神から離れていることが、
絶望感のもとではなかったか、とヨハネは説いたのです。
そして、これが物語りの始まりでした。









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Last updated  2007.04.28 12:40:20
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