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カテゴリ:礼拝メッセージ
続けて、17日父の日になされた礼拝メッセージです。
第18回目 マルコの福音書6章14節~29節 「罪のままに生きる人間」 ***イエスの名が知れ渡り、ヘロデ王はうわさを聞いて、 「私が首をはねたバプテスマのヨハネが生き返った」と言っていた。 ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロデヤを妻とし、そのことでヨハネに咎めを受けて、 ヨハネを牢につないでいた。ある時、ヘロデヤの娘サロメが祝宴で踊り、 その褒美に何でも欲しいものをとヘロデが言ったところ、 ヘロデヤは娘に「ヨハネの首を」といわせた。王は非常に心を痛めたが、 人々の手前もあり、娘の願いどおり、ヨハネの首をはねた。*** ヘロデとヘロデヤの問題について書かれています。 とても残酷で、暗い物語です。 ヨハネはイエスの親戚であり、人々を悔い改めさせ、心を整えさせて イエスを迎える準備をさせる役割を担いました。 その顛末は、ヘロデヤによる陰謀で、首をはねられるという最後を遂げたのです。 とても残酷な話ですが、今でもどこかで起こっていそうな話です。 昔から、こうした残酷な出来事はあったのです。 16節、ヨハネが生き返ったと、ヘロデは恐れています。 実は、ヘロデは「王」ではありません。その地域の担当者、という位の身分です。 「国の半分でもやろう」などという権限はありません。 その地域を治めつつ、ヨハネの話をしっかり聞いていました。 ヨハネの話を神の言葉と受け止め、彼を迫害したりしたくなかったのです。 しかし、ヘロデヤの存在がヘロデを狂わせました。 彼女は、兄弟の妻でした。妻と離婚し、兄弟から妻を奪ったのです。 このヘロデとは、イエス誕生時に、「2歳以下の子供をすべて殺した」 ヘロデ大王の子にあたり、ヘロデ・アンティパスと呼ばれます。 ヘロデ大王は、自分の息子達も殺していき、その婚姻関係はメチャクチャでした。 そのように、道徳的に堕落した家系の中で、ヘロデはヨハネの声を 聞こうとしていたのです。 ここから2つのことを学ぶことが出来ます。 1つめ。ヘロデ大王の生き方は、その子、孫の代まで続きました。 たくさんの妻をめとり、子供を殺しました。彼は気が狂って死んだといわれています。 その生き方が、ヘロデ、ヘロデヤまで続き、娘サロメまで伝染したのです。 祝宴で踊りを踊るということ。王の娘としては考えられないことです。 しかもただのダンスではなく、とてもセクシーな踊りだったと言われます。 「褒美に国の半分でもやろう」というヘロデの言葉は、ヘロデヤにとって ヨハネを殺す絶好のチャンスでした。レビ記18:16には 「あなたの兄弟の妻を犯してはならない。それはあなたの兄弟をはずかしめることである」 という戒めがあり、それに基づいてヨハネから罪を指摘されていたヘロデヤは、 ヨハネが憎くて仕方ありませんでした。 娘サロメに向かって、「ヨハネの首を願え」というヘロデヤ。 そして、それを嫌がることなく受け入れる娘。教育が受継がれていることが分かります。 神をも恐れぬ人々。神の定めた結婚制度を守っていかない人々は、 このように子孫が影響を受けていくのです。 出エジプトにある「十戒」の2つ目は、 「あなたは、自分のために偶像を造ってはならない」ですが、 妬む神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし・・ とあります。 当時の家庭は、今のような核家族ではなく、三、四代は一緒に住んでいます。 祖父が神から離れたら、家族全体が神から離れるというのです。 結婚についてのルーズさについては、当時他の人にとっても当たり前のことだったようです。 ヨセホス、タキトゥスといった一般的世界史の著書の中に、 ヨハネの首をはねたこの事件について記事もあり、それは「嫉妬によって殺した」とあります。 ヨセホスにとっては、結婚生活がいいかげんになされるということは、 別段どうってことのない事柄だったのでしょう。 しかし、神の言葉に従うなら、結婚を大切にしなければいけません。 2つ目。ヘロデの態度についてです。 彼は、ヨハネを殺したくはありませんでした。 ヨハネの言葉、その悔い改めのメッセージで、神に立ち返ること、人生が変わることについて、 ヘロデは喜んで耳を傾けていたのです。 26節、王は心を痛めたとあります。彼がヨハネを殺したのは人々の手前、 そうするしかなかったのだといいます。 最近、一人の大臣が自らの命を絶つという事件がありました。 彼と、このヘロデがかぶります。 あの大臣は、自殺する以外に方法があったのではないかと、 多くの人が思ったことでしょう。そして、彼も本当は死にたくは無かったでしょう。 しかし自分の意に反して、周りの目を気にし、 自分はこうでなければならないということに 自分自身を追い込んでしまったのではないでしょうか。 彼は自分の命を犠牲にしました。そしてヘロデは、ヨハネの命を犠牲にしたのです。 自分が思ったことを、思い通りにすることが自由だと人は考えます。 しかし、「このように生きるのだ」と自分で考え、そこから外れようとしなかったら、 それはとても狭い世界に生きていることになります。 主に頼って、「どうしたらいいのか?」とヘロデは言うべきでした。 「それだけは出来ないよ」と言えたはずなのです。 こうでなければいけない、そのように人の目を気にして生きてきた、 今更、ごめんなさいなどと言えない、 そして結果、最も望まない結論を出さざるを得なくなってしまいました。 実はこれこそが、マインドコントロールです。 人は、自分で自分にマインドコントロールをかけるのです。 こう生きてきたから、こうしなければならない。 そのように考えてしまうのが私たちです。 それを解く唯一の方法は、イエスに聞くこと。 この世界を、そして私たちを造られた方こそが、私たちを自由に出来ます。 狭いところに自分を追い込むのが、人間。それが罪です。 ヨハネは命をとられました。しかし、この物語の中で、最も自由な人でした。 時の王に対して、まさに自分の生死を決めるものに対して、 恐れることなく神の言葉を語り、悔い改めを迫ったのです。 権力、暴力を恐れず、主が喜ばれないことは、あなたの人生にも よくないことだと語りました。 キリストにあって、みことばを語り、説き広めるとき、 人々は自由になります。それは私たちを立てあげる、本当の自由です。 29節、ヨハネの弟子達は遺体を引き取りにいきました。 これも彼らにとっては恐ろしいことです。 王の反逆者であるヨハネの弟子であるということが分かってしまうのですから。 しかし、彼らにも、ヨハネと同じ自由が与えられていました。 何にも束縛されない、自分を幸福にし、人々を幸福にする自由です。 マルコは、イエスの伝道についての記事の真中にこの話を置きました。 イエスの道備えをしたヨハネ、そしてヨハネの迫害、 イエス、弟子達、とその働きは大きく広がっていきました。 今日は父の日です。 父の存在はとても大きなものです。そして、三、四代まで影響を与えます。 父に親族の祝福がかかっているのです。 父がキリストにあって自由なら、家族は祝福を受けます。 そして次の代に伝えていけるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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