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Uooの三日坊主Diary

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2007.08.03
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カテゴリ:礼拝メッセージ
2週間前の礼拝メッセージです。選挙についての考察に、唸らされました・・・
選挙、政治に期待している自分自身の心の奥底に、
自分さえ良ければいいという罪があることに気づかされました。
政治によっては、世界は変わりません。
キリストにあって変えられることを求めて生きたいと願います。

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第23回目 マルコの福音書7章31~37節 (2007年7月22日)

「私たちの心が開かれるように」

***ツロを去られたイエス。シドンを通って再びガリラヤ瑚のあたりへ。耳と口の不自由な人が人々に連れてこられた。イエスは彼の両耳に指を差し入れ、つばきをして彼の舌に触られ、天を見上げ、深く嘆息して、「開け」と言われた。すると彼の耳が開き、はっきりと話せるようになった。***

イエスは再び地中海の方へ戻って来られました。ツロを出て、シドンを通ってもう一度ガリラヤ瑚へとありますが、南へ行こうとしているのに、なぜ北へ行かれたのか。これが本当なら、150~160キロほど歩いたことになります。マルコは位置を間違えたのではないかとも言われています。

バークレーという神学者は、150キロ歩いたということは、少なくとも8ヶ月ほど弟子達と一緒に過ごしたということになると言っています。その間に何があったかは書かれていません。ともかく、ガリラヤに戻ってきたイエスの元に、耳と口の不自由な人が連れてこられるという事件が起こりました。

この地域には異邦人が多く住んでいました。以前、豚に悪霊が乗り移り、2000頭が死んだという事件がありましたが、その時癒された人にイエスは「自分の居場所へ戻って伝えよ」と言われました。その伝えられた人々が、噂を聞いてイエスに会いに来たのかもしれません。

ところで、8ヶ月も弟子達と共に暮らしていたとしたら、どんな生活をしていたのでしょうか。1つ分かることは、こんなにもイエスと一緒にいた弟子達なのに、あまり変わっていないということです。5千人の給食、パリサイ人たちとの戦い、盲目の人の開眼、それらの事柄を通して分かるのは、弟子達の不理解についてです。

実は、この後、4千人の給食、パリサイ人との戦い、そして盲目の開眼、と、全く同じような事件が繰り返して起こります。マルコは7章まで、彼らがどんなに不理解だったかを書いているのです。

来週の日曜は、参議院の総選挙が行なわれます。クリスチャンはどう政治に関ったらよいのか問われることがあります。日本キリスト教団などは、積極的に関りますが、私たち福音派はどうすべきでしょうか?

テレビなどで、どこへ投票しますかと聞かれ、○○党へ入れます、年金問題があったから、既成政党にはもう任せられないから、子育て支援をしてくれるから、など、いろんな声が聞かれます。

選挙で、政治で、社会は変わるのでしょうか。政党が掲げるそれぞれのマニフェストがあります。どんなに声高にそれを叫んでも、社会は変わりません。政治では、変えられないのです。

子育てのために、年金のために、ここへ投票したいという姿と、盲目の人を治してくださいという姿。これらはとても似ています。

かつて、重い皮膚病の人をイエスが癒した場面がありました。あの時、「憐れんで癒した」という言葉は、「怒りに満ちて癒した」とも訳されるとお話しました。今日の箇所の、「深く嘆息して」は、同じ言葉が使われています。すなわち、「怒りに満ちて」イエスは目と口の不自由な人を癒されたのです。

怒りに満ちて、「エパタ(開け)」と言われました。イエスは絶望し、がっかりされたのです。なぜ、人はこれほどまでに神の言葉がわからないのか、と。

自分の幸福を実現してくれるところはどこかと探しているうちは、何も変わらないのです。この人に投票すれば会社は安泰と考えて、組織票が生まれます。個人的利益にならざるを得ない側面を否めません。私たちは社会を変えて欲しいと強く願います。ところが、それは選挙では期待できないのです。

自分達が幸せになれればいいというその背後にあるものを見なければ、見えてこないものがあります。

政党の人たちは、子育てのことなど、部分的に良くなることを掲げますが、それによって本当の意味で平和と平安を実現させることは出来ません。「一人が変わる」ということがなければ社会が変わることなど有り得ないからです。

異邦人にしても弟子達にしても、自分達にとってどうかという視点しかありませんでした。イエスに従っていった結果、何をいただけるのかという弟子達の言葉もあります。社会が変わるためには、キリストの権威、そして自らの罪が分かり、神から離れることの恐ろしさを理解して歩んでいくことこそが必要なのです。

私たちに何が出来るでしょうか。キリストの権威を徹底的に認め、政治とは関らない所で私たちが変わること。その時、政党が変わるでしょう。世の中の考えとは、反対の流れです。この社会は、私たちクリスチャンがどうあるかで決まるのです。

終りの日はどのようにやってくるでしょうか。教会がどうなってしまったか、によるのではないかと思います。キリストの権威を怖れ、罪に絶望し、神から離れることを恐れる、そういうクリスチャンは極端に少ないのです。

アメリカでは、フリーセックスが謳われ、性的に荒れ果てた時がありました。ニューエイジムーブメントの影響で、一人一人が神だと言い始め、高校では銃の乱射事件が起こるなど、メチャクチャになってしまったのです。ある地方で、「教会に戻ろう」「皆で悔い改める集会を開こう」という動きが起こり、インディアナポリスでは、わずか20年で8000人にも成長する教会が現れました。そこでは、地域の学校を調べたそうです。生徒の80%の両親が離婚していることが分かりました。教会でその問題に取り組み、教会が変わり、人々が本当にキリストを信じ、自分の罪を恐れ、キリストと共に歩むことを学び続ける中で、学校、そして町全体が変わって行ったのです。

政治ではありません。私たちが変わる中で、政治が変わるのです。

イエスの嘆息は、そこにあります。人間の心は、どうしてこうも開かれないのか。自分の利益、自己満足を求めることしか出来ない民。「エパタ」、開けといわれるイエスは、私たちの心も開け、と指し示されているのです。

37節「この方のなさったことは、みなすばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、話せない人を話せるようにしてくださった」これは、イザヤ書35節5-6節を参照しています。「そのとき盲人の目は開かれ、耳しいた者の耳はあけられる。そのとき、足なえは鹿のようにとびはね、おしの舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ」福音が心に届くということは、十字架の真実を受け止めるということです。そこから変革が始まります。

私たちは無力ではありません。教会でキリストを信じ、キリストと共に生きるなら、日本が変わります。そうでなければ、変わらないのです。政治によって本気で変革するには、キリストによってでなければ出来ません。政治家が変わるように祈る必要があります。キリストによって私が変えられ、家族が変わり、地域が変わり、日本が変わり、そして世界が変わっていくのです。


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Last updated  2007.08.03 21:34:38
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