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Uooの三日坊主Diary

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2007.11.18
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カテゴリ:礼拝メッセージ
今日のメッセージをアップします。
アップしてないメッセージが溜まっていく・・・ショック
前後しますが、近日中にやる予定です。

第31回目 マルコの福音書10章32節~45節(2007年11月18日)

「キリストの歩みに生きる」

***イエスと一行がエルサレムに上る途中、イエスはこれから起こる十字架のことなどを詳しく弟子達に語られた。また弟子の二人ヤコブとヨハネがイエスに頼みごとをして、「あなたの栄光の座で、一人を右に一人を左に座らせて欲しい」と言った。イエスは答えて、「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい」と言われた***

イエスは公生涯としての3年間を弟子たちと共に過ごされましたが、それまでの30年間は大工として歩まれました。今日の箇所は、いよいよエルサレムに上っていく途中で、これからご自身に起こる十字架について大変詳しく語られています。今回は3度目で、これが最後になります。

「十字架」とは、聞いただけでもゾッとする言葉です。当時行なわれた処刑法の中で最も残虐なものでした。なるべくすぐには殺さないように、何日も苦しませるのです。ゴルゴタという処刑場の下を親子が歩いていくときには、「あんな風になってはいけないよ」と親は子供に言い聞かせたといいます。

32節、イエスは先頭に立って行かれ、「弟子達」は驚き、「後に続く人々」は恐れを覚えたとありますが、弟子達とは広い意味での弟子達であり、イエスを慕っていた多くの人々を指します。後に続く人々とは、12弟子のことを指し、イエスと密接に関っていた人々でした。当時、エルサレムにはイエスを殺そうと考える人々が多くいました。だから弟子達は恐れを覚えたのです。

そんな中、ゼベダイの子、ヤコブとヨハネの二人が、イエスに頼みごとをしました。37節、「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」イエスが王として君臨した暁には、兄を右へ(右の方が偉い)弟を左に侍らせてくださいと言ったのです。あとの10人の弟子はこれを聞いて腹をたてました。聖書は、こういったドロドロした場面も正直に書いています。

10人を差し置いてこのような願い事をした二人に対し、イエスが言った言葉は、「あなたがたは自分が何を求めているのかわかっていないのです」でした。「あなたがたは、わたしの飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとするバプテスマを受けることが出来ますか」と問います。杯とは、最後の晩餐を指し、バプテスマは十字架を指しています。

彼らにはイエスの真意は全く伝わっていませんでした。イエスはこの上なく惨めに殺されていきますが、彼らは「あなたと一緒に行きます」と、いとも軽く答えます。しかし、イエスは彼らを受け入れます(39節)。しかし、これは決して彼らをほめているわけではありません。「右と左に座ることはわたしが許すことではない」神様がなさることだと言われますが、これは「今は考えなくてもよい」と言われているのです。なぜなら、弟子達には何一つ、分からないことだからです。

私たちは、最大限キリストについていきたいと願います。ところが、今の私たちがやっていることは、殆どキリストの意に叶わないことです。弟子達はイエスを全く理解していませんでした。この時点で弟子達がイエスに期待していたのは、ユダヤをローマの支配から解放し、王として君臨していただくことでした。

二人の弟子の願いごとについて、他の弟子達とケンカになりました。そして42節、イエスの結論が語られます。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められたものたちは彼らを支配し、また、偉い人たちは、彼らの上に権力をふるいます。しかしあなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕えるものになりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです」

今も昔も、偉い人々によって民は支配されています。しかし、イエスは「あなたがたの間ではそうではない」と言われます。「仕えるものになりなさい」これは、相手も同じように考えてくれないところが辛いところです。相手があなたを迫害する者であったとしても、ということなのです。

「人の先に立ちたいなら、僕になりなさい」とイエスは言われます。犠牲がなければ、ということです。イエス自身がそうでした。生きて証をするために生まれてきたのは、私たち人間一人一人がそうです。しかし、死ぬために生まれてきた人がいます。イエス・キリストがその人です。徹底的に辱めを受け、ボロボロになるために、それはこの世を救うためでした。

私たちの罪、それは神から離れて、自分勝手に生きるということです。それはいかんともしがたく、自分の力ではどうすることも出来ません。そんな私たちを受け入れ、生かすために犠牲を払ってくださいました。そして弟子達にそれを受継いで欲しい、それがこの世を変えていくのだと願っておられるのです。

私たちが、社会全体が、生き生きと生きていくためには、犠牲以外に方法はありません。温暖化問題について、多少のエコを実践したところで、環境破壊が止まるものではありません。この生活をやめない限り、無理だといえます。先進国で好きなだけ環境破壊して、その被害を受けるのは貧しい国々です。このようなことを止めるためには、犠牲が必要です。

しかし、私たちはそれが悪いと分かっていながら、やめられないのです。社会がそのように動いているからです。罪も同じです。罪をやめたい、神と共に行きたいと願いながら、どんどん罪と共に人は動いています。キリストは急に裁きを行なうようなことはされません。罪を止められないその弱さを受け入れ、そこから始めようと共に歩んで下さる方です。

4つの和解が必要です。私が、1)自分自身を、2)隣人を、3)社会を、4)自然を、傷つけるということを止めることが出来るために、それは私が、「仕える」ことから始まるのです。始められるところから、それは夫に仕えることであり、子供に、隣人に仕えることです。

イエスは十字架に向かっていかれます。恐怖は無かったのでしょうか?いいえ、ゲッセマネでは、血の汗を流すほどに苦しまれました。イエスは神ですが、人でもありました。そのような苦しみの中で、なおかつ弟子達を受け止め、真理を伝えようとしておられます。

イエスに委ねましょう。何も出来そうにない自分でも、それが出来るとイエスは言われます。弱いままの自分を受け入れ、共に歩んでくださいます。弟子達は弱いままではありませんでした。イエスの復活後、ものすごく強くされます。全てのことは、弟子達が隣人に仕えるための訓練でした。僕になるとはどういうことかをイエス自身が十字架で教えて下さったのです。











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Last updated  2007.11.18 20:56:04
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