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カテゴリ:信仰
子育てをするときに、子供にお金を与えることは悪いことではないそうです。
洗濯が出来たら10円、皿洗いが出来たら10円、 そのことによって達成感を得させてやれることには意味があります。 そのことの、もっと高度なものとしてボランティアがあります。 ある地域が大きな災害に見舞われた時に、 普段は家に引きこもっているいわゆるニートの青年達が 大変大きな働きをしました。 それは、災害によってその地域の人がお金持ちも貧乏もなく ある意味全員がゼロの状態になったことによって、 彼らが「自分もやっていける」と思ったからではないかと言われています。 教会の働きは、ある意味、皆がゼロの状態になることといえます。 国籍の違い、奴隷であっても自由人であっても、男も女も関係なく、 イエスにあって私たちは一つだと聖書は語るのです。 教会の奉仕とは、そこが根源となっているものです。 互いが仕えあい、愛しあうことによって、キリストにあって一つであるということを、 奉仕によって実体験していくのです。 ***聖書の言葉*** そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、 男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。 ガラテヤ人への手紙 3章28節 ~礼拝後の交わりより~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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