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2008.07.30
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カテゴリ:礼拝メッセージ
最後の晩餐の場面に入っていきます。
十字架に向けて、読んでいて苦しくなるような箇所ですが、
ここでも神様の素晴らしい恵みを学ぶことが出来て感謝です。

*****


第46回目 マルコの福音書14章10節~21節(2008年7月27日)

「神のわざを見る毎日」

***イスカリオテのユダが祭司長の所へ行きイエスを売り渡す算段をする。
除酵祭の初日、過ぎ越しの食事について弟子たちが尋ねると、
既にその場所の準備をイエスがされていると言われる。
夕方、イエスと12弟子はその場所で食事をされる中で、
この中の誰かが自分を裏切ろうとしていると言われる***


有名な、「最後の晩餐」のシーンです。
ダ・ヴィンチが有名ですが、あのように机で食事をとるということは当時はしませんでした。
寝転がって、ひじをついて食べていたのです。いろんな画家がこの箇所を描いていますが、
ユダのみ、違う角度で書いている画家が多いのに対し、
ダ・ヴィンチは、全員同じように描いているのが特徴的です。

ユダがイエスを売り渡す決心をしました。
一方、過ぎ越しの食事の準備を弟子達がしようとしてイエスに尋ねます。
13節、イエスの答え。「都へ行きなさい。すると水がめを運んでいる男に出会う。
その人について行きなさい。」当時、水がめというものを男性が持ち運ぶということは
有り得ませんでした。それは女性の仕事だからです。
もし、水がめを持った男性がいたとしたら、一種異様な光景といえます。
つまり、とても分かりやすいため、イエスが前もってその男性に頼んでおいたのでしょう。
イエスの言われた通りに弟子達が男性についていくと、ある家の2階の客間に通されました。
当時の一般的な家屋は平屋で、2階建てというのはお金持ちの家しかありませんでした。

今日の箇所は、最後の晩餐の前段階です。
最後の晩餐、それは、現代の教会で行われる「聖餐式」の原型です。
カトリックでは聖体拝領といい、毎朝行っています。
種を入れないパンとワインを食することでイエスを覚えるという儀式です。
その昔、エジプトを脱出しようとしていたユダヤ人たちが、
イースト菌を入れないパンをもって旅に出たということから、
過ぎ越しの祭りの時期には種無しパンを食する習慣がありました。
千利休は、宣教師達の聖餐式の様子を見て、茶道(裏千家)の作法を作ったと言われています。

いくつか不思議な点があります。
10節、「ユダは」と、マルコはいきなり書いているのです。
この福音書を書いているマルコはとても慌てていたので、分からないではありません。
しかし、書き方があまりにも断言的です。
よっぽど確実な証拠としての情報をもとに書いているのでしょう。
ペテロなど、実際にその場にいた人物から聞いていたのではないでしょうか。
実際、51節には、マルコではないかと思しき人物が出てきます。

イエスを裏切ろうとしている人物は、イスカリオテ出身のユダ。12弟子の一人です。
なぜ、イエスは自分を後に裏切るような人物を弟子の一人としていたのでしょうか。
考えてみれば不思議です。祭司長たちはイエスをどうやって殺そうかと考えていました。
ユダにとってはチャンスでした。懸賞金があったのではないかとも言われています。
ユダは、会計係りであり、どうやらお金を使い込んでいたようです。
それはヨハネの福音書に記されています。

イエスとずっと一緒に生活していたユダ。12人の一人であるユダ。
使い込みをしていたとはいえ、彼らの経済情況から考えれば、
ほんの少しのお金に違いありません。
また、イエスがキリスト(救い主)であることも分かっているはずです。なのに何故?

ユダも、他の弟子や、ユダヤ人全体と同じく、「救い主」を待っていました。
日本人には得がたい感覚ですが、
世界では、救い主が一体誰なのかということが大変な歴史的関心事なのです。
多くの人々がその出現を待ち望んでいます。

ユダや、イエスこそが救い主だと確認したいと思ったのでしょう。
3年も一緒にいたのです。多くの奇跡を行い、多くの病める人々を癒してきた。
でも、本当にイエスは救い主なのかと疑っている。
なぜなら、救い主とは「スーパーマン」だと思っているからです。
ローマ勢力をその神業で蹴散らし、ユダヤの国に自由をもたらしてくれる人物だと。

しかし現実のイエスは、ぼろい服をまとい、貧しい人のところへ生き、
癒しを行ってもそれを他の人に語るな、という。
ならば、イエスを聞きに追い込んでみよう。危険にさらされたなら、
いよいよ救い主としての本領発揮し、ローマ人をことごとく駆逐するかもしれないと。

18節、わたしを裏切るものがいる、とイエスが言われます。12人のうちの誰かが。
私ではないでしょう、と口々に彼らは言います。
それは、「他の誰かに違いない」ということです。
イエスの趣旨は、最後まで、裏切ろうとしているその人物に、
悔い改めのチャンスを与えているということです。

21節、「生まれなかった方が良かった」というその意味は、最後までそれを続けるなら、
生まれてこない方が良かったということになってしまうよ、ということです。
この時ユダが悔い改めて裏切るのをやめるとしたら、
他の方法でイエスは十字架にかかったことでしょう。
イエスは自分を裏切るのが誰か分かっており、最後まで悔い改めのチャンスを与えたのです。

主は私たちの人生に備えを与えてくださっています。私たちはそれを日々発見していきます。
過ぎ越しの準備について聞く弟子に、「用意しておいたよ」と主は言われました。
「一体、いつの間に?」と弟子たちは驚いたことでしょう。
私たちの人生は主によって備えられています。それに、どこで気付くかです。
ある人は、全て偶然だと思っているかもしれません。

あるドクターの証です。ある土曜日、自転車に乗っていて、トラックにはねられました。
体が空中に飛び、頭から落ちたら致命傷になる、そうだ、顔から行こう、
と空中にいる間に考えた彼は、地面に顔から激突しました。
引っ越したばかりで知人がそんなにいなかったのですが、
たまたま犬の散歩でそこを通りかかった男性が、彼のことを知っており、
奥さんに連絡したそうです。彼女もドクターでした。
一目見て、「死んだ」と思ったほど、酷い状態だったといいます。
救急車を呼び、ある病院を指定しました。そこには彼の教え子である外科医たちが多くいて、
緊急手術が行われました。日曜なら、集まらなかったといいます。
あまりにも素晴らしい偶然が重なって、彼の命は救われました。
これは、偶然なのでしょうか?彼は1ヶ月で退院しました。
それから20年間、手術をし続けました。
彼は、これは偶然ではなく、神が準備したものだと発見しました。
そうしてクリスチャンになったのです。

神の恵みとは、私たちが想像したものとは全く別のものが出てきます。
しかし、最高のものが出てくるのです。
「牧師って何か見えるんですか?」と聞かれたことがあります。
今まで、「こうなるかな」と想像したことは、全部外れました。
しかし、最高のことが起こってきました。

最後の晩餐近くになっても、主は私たちのために準備をしてくださり、
怠ることがありません。この世的に考えて実行していくものは、
いつか「生まれてこない方が良かった」と宣告されてしまいます。
人と自分に頼るものは、絶望しかありません。私たちは、主に期待しましょう。
期待したものとは違うものが来るかもしれません。
しかしそのことの意味を知ろうとするときに、主の本当の祝福を味わうことが出来るのです。








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Last updated  2008.07.30 16:51:11
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