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テーマ:夫婦のつくりかた?!(456)
カテゴリ:聖書のメッセージから
金曜日、つれあいといざこざが・・・。
理由は、義母の入っている「実践倫理宏正会」の勧誘から。 義母と一緒の会の方が4人ほどで日曜日の朝の会に来て欲しいと言って家へこられたのです。 そして、つれあいは「母の顔を立てるために行く」と言うのです。 私は、実践倫理宏正会のこういうところが違うと思うとか、反論を並べ立ててつれあいに、行って欲しくないと言ったのです。 つれあいは義母をかばって大喧嘩に・・・。 けれど、いろいろと話しているうちに、つれあいは思いがけないことを話し出しました。 それは結婚前に教会で牧師がしてくれた結婚準備の勉強会の内容でした。(つれあいはクリスチャンではありません) 「あの勉強会で心に残っていることばがある。 大切なのは違うものを違うままで認めて愛することだ。と牧師は何度も繰り返していた。 僕には、キリスト教で一番大事な部分がそこにあるんだろうと思えたよ」 でも愚かな私はそれでもまだ何かしこりを残したまま翌日に・・。 翌日土曜日は賢治の学校で里山ワークに参加しました(里山の下草を刈ったり木を切ったり山掃除)。 そこで昨日のできごとについて話していると思いがけずまた同じことばを聞くことに。 「まずは自分が認める事じゃないかな…。他人は変えられないけれど自分は変われるから」 そして翌日の日曜日。 教会学校の礼拝で聞いたみことばは、マタイ5.44 自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。 天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、 正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。 自分を愛してくれるものを愛したからといって、 何の報いが受けられるでしょう。 自分の兄弟にだけ挨拶したからといって、 どれだけまさったことをしたのでしょう。 異邦人でも、同じ事をしているではありませんか。 だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。 私は敵どころか自分を愛してくれるつれあいさえも本当には愛していないのだとわかってショックでした。 実践倫理宏正会の人にも義母にも、表面的にはいつも笑顔の良い嫁をつくろって自分を守りながら、心の底では相手を認めず裁いている自分の姿。 自分の信じているものを押しつけて正義と言っているアメリカの愚行と何も変わらないじゃない。 そして月曜日、いきるねっこさんの日記がとても心に響きました。 (お気に入りからリンクしています。ステキな日記ですのでぜひどうぞ!) 神様はこんな私を、違うままで認めて愛して下さっている。 その感謝の思いでいっぱいになりました。 神様は何度言ってもわからない愚かな私に、こうも毎日同じメッセージを伝え続けて下さったんですね。 偽善者としてでなく本当に違うままを認めて愛することができるように祈り求めていきたいです。 *人気blogランキングはこちらからどうぞ* お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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