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テーマ:そらを感じて過ごす時間(360)
カテゴリ:娘のこと
8/18の夕方、軽井沢駅に着きました。
観光シーズンの軽井沢の喧噪を抜けて、ひっそり静かな別荘地へ。 あの通りの喧噪が嘘のようにしーんと静かな森の中へ入っていきます。 夜にはむささびが飛ぶんだとか。 久しぶりの恩師との再開。 でもぜーんぜん変わってらっしゃらなくて、何だかほーっと嬉しくなってしまいました。 先生はあのころと変わらず、クラシックが大好きで、モダンアートが大好きで、毎日雲を眺めては雲の写真を撮って暮らしているのでした。 娘の言う簡単なひとことに「ほー」「詩人だねー」「遊びの天才だね」「科学者だね」といちいち感心してくれたり、道草に共感してくれたり、何だか面白くて。こんな大人がいっぱいいたらこどもも過ごしやすいだろうなーなんて。 こどもにごますってるようなこどもだましの近づき方じゃなくて、ちゃんと大人としてこどもを受け入れている、そんなカンジが心地よいのでした。(あ、この前の歯医者さんもこれだな) そして実は気はすべて雲にいっている・・・んですね。 「お!」とか「あ!」とか言いながら路地へ入っていて写真を撮っていました。 ゲーテやシュタイナーもよく空を眺めていて、天気の変わるのを当てたと言われていますが、先生もよく雲を眺めているからか天気が正確にわかるんです。 喫茶店でお茶を飲んでいたとき、突然の夕立。 喫茶店の奥さん(常連なので知り合い)が心配してくださって、車でお送りしますと申し出て下さいました。 でも先生は平然と雲を見て、「この雲ならあと15分であがりますよ。見ておいて下さい」と。 そして15分後、雨は上がったのでした。すごーい。 先生は雲の写真集を出版されているのですが、その本の最初のページに八木重吉さんの詩が載っています。これが先生が雲を眺めるときの原点なのだとか。 八木重吉 「雲」 くものある日 くもは かなしい くもの ない日 そらは さびしい 岡山へ帰ってきてちょっと淋しくなったとき、空を見上げたら美しい夕焼け雲でした。私もマネしてデジカメでパチリ。 *人気ブログの最新更新情報はこちらからどうぞ。* お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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