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カテゴリ:シュタイナー教育
昨日、整体の野口晴哉先生のおはなしから、「自分との対話」について書きました。
そして昨夜、何気なくルドルフ・シュタイナー著「オックスフォード教育講座」を読んでいたら、重なることが書いてあるではないですか! こうやって知りたいと思ってると向こうからそれが歩いてやってくるってこと結構ありますよねー。 霊的認識に至るために昔から行われていた方法として「苦行法」が紹介されるところから話しは始まるのです。 どうして昔の人は苦行によって霊的認識に至ろうとしたかというと、肉体を特定の期間中すべての人間的体験から切り離すこと(痛みや苦しみを心の中に動揺をきたすことなく耐える能力を学び取ること)によって霊的なものが人間にとって知覚可能となる。 けれども現代の人間はこの方法では霊的認識に至ることはできず、肉体を弱めるのではなくて、肉体以上に心性、霊性を高めていくという方法をとらなくてはならない。だから、行動的な人間的でなくてはならず人生から離脱するのではなく、まさに生のなかへみずからを入り込ませていく人間でなければならない。 さてさて、それでそのためにはどんな手段をとるかということなのですが。 抜粋します。 「自分自身の心の発達を、ある意味で自分の支配下に置くことがその手段なのでありまして、たとえば私たちの生のある特定の時点において、私たちは自分自身に対し、「おまえはどのような習性をもっているか。どのような独特の性格をもっているか。どのような悪癖をもっているか。どういう種類の好感や反感をもっているか」と問うのです。そしてこれらすべてのことを、完全に明瞭に魂のまえに描き出してみた後で、まず最初、ある単純な、むしろ非常に単純すぎるくらいの一点を取り上げて、そこでもし自分が別の種類の反感や別の種類の好感を育て上げるとするならば、つまり心的生活においてこれまでとは別種類の生き方を生み出すならば、どうなるかを思い浮かべてみるのであります」 「私たちは一度、自分自身をごく正直に観察してみましょう」 「十年先に自分がどのような存在になろうとしているのかを考えなければならないということを、まず思い浮かべてみて下さい」 思い浮かべること、ってすごいチカラなんですね。 もうひとつ、感動的な箇所があったので、抜粋。 「私たちがまず最初に高次の認識を求めて探索しなければならないものは、子どもが霊的世界からの便りとして、そこから物質界に持ち込んでくるものそのものに他なりません。したがって教師は、もし正しい本能を持っているならば、霊的な意味で正しく子どもを取り扱う方法を自然に身につけていきます」 教師を親と読み替えても同じですよね。 大人は子どもを正しくみていくことで、高次の認識を自然に身につけていくことができる。 畏敬の念を持ってこどもをみていきたい・・ですね。 *人気ブログの最新更新情報はこちらからどうぞ。* お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.09.09 17:07:30
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