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テーマ:「愛」・「命」(2785)
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先月、竹内演劇研究所の高田先生のレッスンでイメージのレッスンをしたときのこと。
わたしは木になったり虎になったりバラになったりしたけれど、どれになっても可哀想で何かが不足しているわたしだった。 わたしは愛されたいばっかりで、愛することを知らなかった。 そしてここに娘。 愛を与えることを知っているひと。 見返りを求めない愛を注ぐひと。 幼子はまだ天使に近いのだわ。 いつもはっとさせられます。 何で私はこんなに不足を感じているのだろう・・と、レッスンからずーっと思い巡らしていて、今日、アッシジの聖フランチェスコの平和の祈りを思い出しました。何だか涙がこぼれました。 「平和の祈り」 ああ主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。 憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。 争いのあるところにゆるしを、 分裂のあるところに一致を、 疑いのあるところに信仰を、 誤りのあるところに真理を、 絶望のあるところに希望を、 悲しみのあるところに喜びを、 闇のあるところに光をもたらすことができますように。 ああ主よ、わたしに、 慰められるよりも、慰めることを、 理解されるよりも、理解することを、 愛されるよりも、愛することを求めさせてください。 わたしたちは与えるので受け、 ゆるすのでゆるされ、 自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。 アーメン *人気ブログの最新更新情報はこちらからどうぞ。* お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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