|
テーマ:生き方上手(685)
カテゴリ:カテゴリ未分類
今回のテーマは「幸せになりたい?」です。すみません、また予告と変わっています。
こちらを先に書いたほうが「自分の中の恐怖感」というテーマが分かりやすくなると思いましたのでこちらにしました。 「幸せになりたいですか?」と聞かれて、「はい」とほとんどの人は答えると思います。 では貴方の「幸せ」って何でしょうか? お金持ちになる事ですか?大好きな人と結婚して家庭を築くことでしょうか?仕事で成功する事や大好きなものに囲まれて暮らす事でしょうか? でもそれが本当に「自分の幸せ」ですか? わざわざこれを聞くのは、「幸せ」は人の数ほどあるからです。 「自分の幸せ」と「他の誰かの幸せ」と言うのは似ている事はあるけれど、まるっきり同じになる事はありません。 では「自分の幸せ」って何でしょうか? 時々、「これをやったら幸せになれる!」という様な内容の記事を見たり読んだりしませんか? それをやってプチハッピーになる事は出来ます。 でもどれだけプチハッピーが増えても本質的な幸せ(自分の幸せ)に近づかないと本当の幸せにはなれないですよね。 ハッピーだけどなんかつまらない、というのはこう言う状況にはまっているといえるでしょう。 よく「幸せになる為には自分を好きにならなくてはいけない」ということを聞きますが、実はこれもそういう意味ではちょっとずれた言葉です。 「自分が好きだから自分を幸せにしたくて努力をして幸せになる」、ということは良くあります。 「自分を幸せに出来る自分が好き」ということもあります。 「自分を好きということ」と「幸せになるということ」はお互い影響をし合っていますが、「自分を好き」になったから「幸せになる」わけでもないんです。 「自分の幸せ」は自分にしかわかりません。 他の人から「これが幸せ」と教えてもらっても自分の心がそれに同意しないと、いくら人の言う「幸せ」になっても自分は幸せを感じられず不幸なままということは良くあります。 「自分の幸せ」を見つけるには自分と向き合って、「幸せ」と思った事に向かって歩き出さないと幸せにはなれません。 もちろんツライこともありますが、幸せになるためのツライことは乗り越えなくてはいけないものです。 大事な栄養だからそこは踏ん張らないといけません。 逆に、幸せになれない(栄養にならない)ツライことは避けても問題ありません。 誤った「自分を好き」な人はここが踏ん張れなくて、「こんなツライ目にあうなんて私がかわいそう」と思って幸せになるための行動をやめてしまいがちです。 これから先ずっとの幸せより目先の幸せ(その先の不幸に気づかず)に心が奪われてしまうのです。 そうして何時までたっても自分の幸せにたどり着けず、「自分を好きなのに私がこんなに幸せでないなんて世の中が悪いんだわ」という思考に陥ってします。 逆に正しく「自分を好き」でも「幸せ」に向かって歩き出せない人もいます。 思考や視点は正しい道を示しているのに、何故か行動が供わなない。 何故か入り口でうろうろ。 そういう人は自分の中に幸せになるのに何らかの恐怖心や抑止力が働いています。 一体それは何なのでしょうか? というわけで、次回こそ「自分の中の恐怖感」です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.07.28 23:11:05
コメント(0) | コメントを書く |