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カテゴリ:自分を見つめる
昨日ちょっと書いた「逆恨み」、何でするんだろうと思うことがあります。
結局、自分のやっていることを正当化するため、ということが多いような気がします。 つまり本当は自分がやっていることがおかしいけどそれを認めたくない場合にするのだと。 自分がやっていることが正しければ、他の人に何を言われても大丈夫なのです。 どんな指摘をされようと、どんな誹りを受けようとも、それが理にかなっていれば別に全然普通に自分がやっていることが罷り通ります。 (偶に会社で罷り通らないところがありますが、やはりそういうところは何処かおかしいものです) でも自分がやっていることが理に適ってなく、不適切な場合はやはり指摘されて修正されたり、その人のやっている通りに出来なくなったりします。 この場合自分が一番正しい!!という思い込みがある場合、それが出来なくなる相手が全員悪者で、私のことを分かってくれない酷い人というわけで恨みが発生するようです。 時々自分のやっていることを100%肯定してくれない人を極悪人扱いする人がいますが、本来はそちらの方がおかしなことだというのが理解できないようです。 そういう人の場合基本的に多いのが、変に自分に甘い、という人。 自分に優しいというのとは別に、他人に自分を甘やかすことを強要する人、と言えばいいのかな? これは本質的に自分に優しくなく、醜くなるだけなので辞めた方が無難ですが。 ちなみに私の場合、理解・肯定してくれない場合、必要以上に行動その他をとやかく口出さない限り、その人に対して 「ふ~ん」 で終わります。 仕方ないですよね? 今まで生きて来た道筋、価値観、人生観が違うのですから、どうしても受け入れられないこともありますから。 自分の考え方その他が100%受け入れられる方が「ありがとう」なのです。 もし口出しその他をしてきた場合、理にかなっている、と思えばそちらに修正しますし、違うと思っていたら取り合わないだけです。 本当にこちらのことを思って言ってくれる方は、拒否されても怒りませんし、事あるごとに仰って下さるのですぐに分かります。 逆に支配したい方はすぐに威圧的に出るので、それもすぐに分かります。 受け入れられないからと言って恨んでも仕方ないし、被害者意識で相手を責めても無駄です。 もし今までやってきたことが間違っていたとしたら、そこで修正すれば済むことなのです。 あくまで「やってきたこと」が間違いであって、その人「自身」が間違いではないのですから。 ただ、さか恨む人は基本的に 「自分を否定された!!」 と思う方が多いようです。 でもその裏には自分が間違いを犯したのを知って、それを認めたくない心理も働いているようです。 同時に「間違える=やってはいけない大罪・人でなし」という強烈なすり込みがあり、そのために間違いを認められないというのもあります。 そのため「その人が居なければ、自分の間違えを認めなくて済む」ということから「逆恨み」に繋がるようです。 つい誰かを恨むことをついしちゃう人は、自分は間違えても修正すればいいんだということを言い聞かせると良いかもしれません。 その人が悪いわけでなく、自分の中身が反応しているのだと。 そのことに気づいて自分を見つめ直していけば、逆恨みなどしなくて良くなるのですが。 自分の中身を直していく、というのは根気の居るもので、時に大変なので、つい安易に他人が悪いと言いがちですが、そうすると自分成長が止まるので、出来れば自分が成長していく方に方向展開をした方が、最終的には楽ですよ。 それに人を恨んだらそれが自分に還ってきて、苦しくなるだけですから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.11.04 20:15:44
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