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カテゴリ:自分を見つめる
「心の傷を売り物にしないで!もっとひどい心の傷を負って、それでも笑っている人だっているんだから!!」
過去に私はそう言われたことがあります。 当時、中学の時の集団いじめの心の傷が癒えず、人間不信を引きずって人を信用できず、それでも側に居ようとしてくれる人にそれを盾にあれこれ言い訳をしていました。 イジメを受けた、と言えば大抵の人は人間不信な行動を容認してくれる人が多かったこともあります。 もっとも苛められていた、というと何故かイジメて良いんだと思い込んでイジメをする人も居たので余程のことがないとその告白をすることさえマレでしたが。 当時言われた私はとてもショックを受けました。 だって自分は可哀そうなんだ、不幸なんだと思い込んでいたことがひっくり返されたんですから。 同時にすごく恥ずかしいことをしているんだということに気づいて、それ以降はそれを盾に言い訳するのは辞めようと思いました。 そして心が痛んでも、それを感じつつ言い訳せずに乗り越えようとしてきました。 だってその傷を乗り越えて、笑っている人の方が何倍も素敵だと思ったし、そういう人になりたいと思ったから。 そもそも心の傷を盾に(売り物に)するってことは、他人に対して腫れ物に触るように接して欲しい、甘やかしてくれないと嫌だと強要するようなものです。 それって失礼ですよね。 同時にとってもみっともないとも言えます。 何時までも傷を化膿させたまま直さず、同情を引こうとしているんだから。 そんなことをしているより、傷を完治させてその話が笑えるようになった方がいい。 例え今は辛く感じても、其の先はもっと楽になるのだから。 沢山の傷を負って、抱えて、更に直して乗り越えたから見えるものだってある。 まるっきり傷を負ったことのない人の薄っぺらな言葉より、もっと厚みの言葉を発することが出来る。 傷ついて立ち止まっている人の気持ちが分かったり、どうしたらいいのか見えるから、地に足のつく言葉を発することが出来る。 誰かの心を動かすことだって、そうして誰かの光や希望になることだって可能。 だから、今、心の傷を抱いて泣いているのなら、それを直して乗り越えていってほしいと思う。 あなたが望めば必ず何処かに出口があるから。 必ず誰かの手助けがあるから。 直ぐには無理でも乗り越える気があれば、それは乗り越えられるもの。 傷は何時か、輝きにも変化できるのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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