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カテゴリ:自分を見つめる
「愛」という言葉を前面に出してしまう事が気にかかる。
一番分かりやすいのは親のエゴな愛。 「愛しているから」「大事だから」「貴女を思っての事だから」 そう言う言葉で子供を自分の思い通りにコントロールしようとする親は多い。 実際にその子のための事もないとは言わない。 でもそれで実際にその言葉通りになって、満足するのは誰だろう。 嬉しいのは誰だろう。 子供よりも親が満足して嬉しかったとしたら、更に子供が不満そうにストレスをためていたとしたら、やはりそれは親のエゴでしかないと思う。 失敗、苦労、大変な事をやっているのを見ていられないのは、辛くて辞めさせたいのは誰だろう。 ただその人の心が軟弱なだけだと思う。 子供が望みをかなえるため、自分でやらなくてはいけない苦労や大変な事なら、それはやらせるべきだと思う。 下手に手を出したり、取り上げたりしてはいけない大事な通り道だ。 感情移入しても良い、一緒に辛い大変な事を感じて共有しても良い。 相手を思って泣いても良い。 同時にそれはあくまで相手のものだと言う事を、何処かで割り切ってしまう必要もある。 自分の望むモノを相手が同じように求める事を求めてはいけない。 その時点で相手の事を無視している事になる。 相手が何を求めているかを知って、アドバイスするには構わないが、それを全否定はしない方が良い。 どうしても全否定する場合は、あくまで自分個人の意見として、という事を伝えるのは大事かな。 相手の意思を、決定権を奪うようなことはしない方が良い。 「貴方のため」「貴女が大事だから」 そう言えば言うほど、言葉はうそくさくなる。 コントロールしようとしているのが露呈する。 本当にその人のためならば、大事ならば黙って見ていないといけない局面もたくさんある。 本人が分かるためには痛い目に会う必要な事もある。 非社会的な方や、非人間的な方に行くのであれば、命かけても止める必要は出てくるけど、そうでない場合は結局言う側のエゴがあると思う。 もちろんエゴなのを承知で相手に伝えるのなら、それはそれで構わない。 ただそれを何か別のものにすり替えて、綺麗にラッピングするのは辞めておいた方が良い。 無理に綺麗にするくらいなら、べたべたのまま差し出した方がいい。 その方が歪まない。 と、私は思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.04.09 19:39:30
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