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2010.05.19
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テーマ:たわごと(26823)
カテゴリ:その他諸々の事
昨日・今日と気付いた事のなのですが、人によって言葉の定義って結構違うものなんですね。
同じ言葉でも捉える範囲が全然違うと、やっぱり伝えたい事が伝わっていなかったり、勝手にその人の自己解釈をされ、勝手に怒っていたり反発されていたりします。

たとえば前々日の「依存」という言葉ですが、goo辞書によると

「補足説明「いぞん」とも

 (1)他のものにたよって成立・存在すること。

 「食糧の大半を外国に?する」

 (2)〔論〕「依属(いぞく)」に同じ。」

となってます。

でもこれを相互互助関係と混同している人もいて、結構びっくりでした。

たとえば職業関係で、お客が居なければ商売が成り立たないのは当たり前の話。
でもこれは依存関係か、と言われると違うんですよね。

お客様の欲しいものを提供して、その対価としておかねを戴いているので、逆を言えばお客様が欲しくないもを提供しても、誰も買ってくれない訳で、そう言う意味では当たり前の事です。

これを他人に頼って生きているか、と言うとやっぱりちょっと違いますよね。
もし買ってくれないなら、じゃあ、何なら買ってくれるかとか、どうしたら買ってくれるかとか自ら考えて、判断して行動しているのですから。

依存と言うのはそう言う事が一切できない、自分で考えて行動する事が出来ない状態の事なのですから。
これは依存関係じゃありません。

もしここでどうして買ってくれないかとか、分からなくて誰かに一々お伺いを立てて、そのと売りにしか出来なかったら、その誰かに依存している、と言う状態ですが。

更に自立、と言うと誰とも関係せずに一人で生きていくこと、と考えている人もいてびっくりした。
いや、それは違うよ。

ちなみに辞書だと

「(1)他の助けや支配なしに自分一人の力で物事を行うこと。ひとりだち。独立。
 「親もとを離れて―する」

 (2)自ら帝王の位に立つこと。
 「其後―して呉王となる/中華若木詩抄」 」

となってます。

だけど生きていく上で誰かと関係して、時には頼って、頼られてと言うのは当たり前にある話です。
でも誰かの保護下に、護られる事を当たり前としていたら、それは自立しているとは言い切れないし。

後は自分と他人を混同しない、という意味では自己の確立っては大事で、それを自立として書いていたりしますが、私は。

時々これを意識の分離、とか捉えている人がいますが、それまた違いますから。

極端な例を言うと、色々な色の絵具があって、それを全部混ぜたら汚い色になりますよね。
でもそれ一つ一つは綺麗な色なので、上手く使って綺麗な絵が描くことも可能です。

自分と他人の混同=まぜこぜにした状態
自分と他人を区別する=調和のある絵
と言えばいいのかな。

もちろん一人ひとりが色々な色を持っているので、その中の色の一つと他の人の色を合わせて、綺麗な混合色(調和)を生み出すのも可能です。


後もう一つ、エゴと自我の認識も一緒くたにする人がいるんですよね。

エゴとは基本エゴイズムの事を刺している事が多くて、エゴイズムとは
「(1)自分の利益だけ重んじる考え。自分本位の考え方。利己主義。
 「大国の―をむき出しにした政策」
 (2)〔哲〕「利己主義(りこしゆぎ)(2)」に同じ。 」
となっています。

スピ業界ではこれを日本語に当てはめる時に「自我」って書くこともあるのですが。

たとえば自我が無い人ってハッキリ言って困った人だと思います。
自分の意思すらないってことは、お人形と同じですしね。
人として生きてないってことにもつながると思うのですよ、私は。

自我から出たものが全てエゴイズムかと言ったら、また違うし。
もしあなたのハートの意識から出た行動、考え方だったら、それは愛に基づく行動で、当たり前の事なのですし。

自己満足とか自分の利益とか、そう言ったものしかないなら、相手の事が置き去りならばそれはエゴだと言えると思います。


なんだろな、時々自己弁護のために、強引に色々な似たものを一緒くたにして、強引に自己肯定をする人がいます。

でもわざわざ何かを引き合いに出して、それで自分はおかしくないとか、当たり前の事だとか強引に結論付ける時って、経験から、そうやって周りを固めないと、自分が否定されて無くなる、と思っている事が多い気がします。

根っこと言うか、自分軸が無いっていうか。
揺らいでいて不安で怖いから、懸命にその恐れと向き合わないように、強引に外を固めちゃう。

それが悪いとかじゃなくて、多分それを通り過ぎないと、本当の意味でのエゴの手放しと言うのは出来ないんだろうなと言うことです。

何度か書いているけど、「これが自分」と言う定義は自分が勝手に決めたものだったりします。
それが本質に基づいているかどうかはまた別の話。

そう言うものを手放して行って、本当に自分がなくなるか、と言ったら
無くならない
と言うのが私の結論。

自分の顕在意識で分かっている事だけが「自分」じゃないし。

でもまあ、そんな訳でどうしてもまだエゴが手放せない!と言うのなら、それはまだその段階に居るだけだなってことで、まずはそんな自分を受け入れる事が大事だとは思う。

ただ人間何時までも同じ所に居るわけにはいかないので、その内嫌でもエゴを手放す方に行くものです。

もしそっちに行かなかったら、その人の霊的進化が止まっているだけなので、それはそれで構わないと思います。
偶に周りは迷惑しますけど。

話を元に戻しますが、そんな訳で言葉を自己流に解釈しているのを、知らずに使っているとやっぱり相互理解には程遠くなるんですよね。
そしてお互いの意見に違和感を感じてぶつかっちゃったり。

なので本当に言葉の意味を深く知ること、お互いどんな意図で使っているかを知ることは大切なんじゃないかな、と思ったわけです。

そう言えば「特に女性は言葉の本当の意味を知らずに使っているから、問題が起きる」と、とある人が行っていた事を思い出しました。
それって真実だなって思う昨今です。





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Last updated  2010.05.19 19:59:57
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