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カテゴリ:自分を見つめる
……は、なかなか思ったより治り難いですね。
なんかの拍子に出てきてしまう。 治ったつもりでいることは結構ある。 あまりの人間不信に嫌気がさして、疲れて、逆の性格面(人格)を作っちゃったりする。 そして表に出している人当たりの良さの裏で、更に人間不信を増大させていく。 本当に中途半端な仕事(バイト)先の人と、中途半端なところで合うと、どうしていいか分からなくなる。 私は基本避けて知らないふり・気付かないをしてしまう。 気を使うのが嫌だ、と言うのが主な理由。 でもさ、本当はこちらが気付いたのに、気付かれないこと、気付いても無視されることが一番嫌なんだろうな。 「わざと無視したのに、慣れ慣れしく声かけて来て鬱陶しい。自分は好かれているとでも思っているみたいでさ、馬鹿じゃない」 これは小中学校くらいの時、わざと聞えるように言われたこと。 結局そう言うことの積み重ねて、本当に親しい人以外途中でばったり会っても、無視するようになったきっかけでもある。 知っている人に会って、ニコニコ笑って側によるのが、嫌になったのはこの頃から泣かな。 恥ずかしくて、隠れていた時期は 「声かけなよ~。会えてうれしいんだからさ」 と言われていたのに、一転して拒否をされる。 それが嫌で、中途半端な知り合いには、基本分かっても無視することにした。 自分を守るため。 でもさ、そろそろいいんじゃないかな。 傷つける人、嫌がる人、人を傷つけて喜ぶ人は確かにいる。 でもそう言う人ばかりじゃないしね。 ちょこっとの知り合いでも、すごい喜んでくれる人もいるしね。 苦手だ、と思うのは何時も私。 相手をそう言う人だと思って怯えているのは、私。 全て私の判断。 まず最初に、傷つくのを怖がって何も出来ない状態から、一歩出なくてはね。 ハートを閉ざして、とげをまとっている人と、同じにならなくても生きていける。 ハートを開いても、とげが刺さらないことは出来るはず。 少しづつ、少しづつ。 ハートを開いて、周りを変えていこう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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