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カテゴリ:自分を見つめる
自分の中に、たくさんのブロックがあるのに気付いた。
「~~~~が出来ない」 「私が****など、出来る筈がない」 「@@@@が怖い」 今までに沢山ブロックを壊して、手放して言ったと思ったけど、まだまだ沢山のブロックや思い込みに囚われている。 そしてその前にして思わず立ち往生する。 でもさ、これって本当に出来ないこと? 本当に怖いこと? 真の自分のためになることってどんなこと? 確かに本当に出来ないことはある。 能力とか天分の才でしかできないこと。 それは仕方がない。 でもさ、今自分が思っている「出来ない」ことは、本当に出来ないこと? 努力する価値、やってみる価値がないこと? 思い込みを外せば、流れ出すものもあるんじゃないのかな? そう問いかけてもかたくなに、そのブロックを絶対だと思っている私もいる。 いや、思いたいのかな。 ブロックを外した時、自分が流れの中で自分を見失うって思っているのかな。 本当に怖がっていることは何だろう。 そう探っていくと。 結局親に見捨てられる、と言うところに再び行きつく。 子供の頃は、親に見捨てられ、放置されたら生きていけなかった。 生きていくために、親のワク組みに入らざる得なかった。 私が思うような、素敵なことが起きて、どんどん幸せになろうとすると、そこに行けない親から嫉妬され、引きずり落としが起きていた。 つまり、 「生きていきたかったら、私の手元にいなさい。そうじゃないと育てないから、放置して殺すから」 という強迫。 ハッキリ言われた訳じゃないが、行動からそれが感じられた。 一時期本気で、育ててくれる人が他にいるなら、この親の元から速攻逃げるのに、と思っていたくらいだ。 そしてその手の脅迫は成人してからも続いた。 何かあるごとに「私たちがいなかったら、貴方は生きていけない」を無言に言われ続け、とどめられ続けた。 でも、もう、良いんじゃないかな。 親がいなくても何とか生きていけるよ。 だからさ、その恐怖のブロックを外そうよ。 ブロックを外せば逆に親元から離れられるよ。 凝り固まった自分の中のブロックを、一つづつ、少しづつとかし始めよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.09.12 20:13:23
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