|
カテゴリ:自分を見つめる
スピが好きな人と話していると、時々、
「おや?」 と思う人と出会うことがある。 師匠や、ヒーラーさんや先行く人たちと仲良くなれば、何か自分にしてくれる、それで自分が壁を乗り越えて行ける。 そう思っているのでは?と思う方と出会うことがある。 もちろん直接聞くと 「そんな事は無い!」 とヒスを交えて強硬に否定するが。 いや、その強硬な感情的な否定をした時点で、そう言う甘えが何処かにあるのだが。 実際に誰かにべったり依存して、甘えてなんとかしてもらおうと思っている人は多い気がする。 自ら動かなくては、何も変わらないのに。 基本的に自己探求の世界は、相互に作用しているので、時にはお互いに刺激し合い、成長することもある。 だからと言って相手が肝心な点で何かをしてくれるわけじゃない。 それは自分で越えていかなくてはいけないところ。 周りの人はその手助けをするにすぎない。 自分で目的地を決めずに、ナビシステムに 「どっか良い所に行って」 と言っても、動いてくれないし連れて行ってくれないのと同じ。 それが分からない人は、何か困難があるとすぐに逃げ出し、その場、その人を批判して、自己正当化に走る。 その自己正当化は基本悪質だったりする。 相手が実は能力が無かった、人として最低だった、私のことを理解してくれない、等など。 時には自分と向き合うのが出来ないあまり、去っていった他者を上から目線で見下していたりする。 自分を省みて、何が悪かったかを考えるより、他人が悪かったことにすれば、自分は何もしなくていいのだから。 そして何度もそこに逃げ込んでいく。 時には他の誰かを 「あんな風にはなりたくないよね、何考えているんだろうね」 等と批判したそのままの行動をとって、自分だけは正しいつもりでいる。 自分で気付かなければ、自分で分からなければ、何も成長はしない。 でも同時に自分で気付くことはとても難しい。 誰かに教えてもらうしかないこともある。 もっとも指摘してくれた人を悪者にして、自分の正義を振りかざしてくなることもある。 そんな間違いを時には犯しながら。 その落とし穴からどれだけ這い上がるかが、一番大切だ、とは某伊藤先生の著書の言葉。 一度間違ったら終わり、にする人も多い。 終りにする人とは、無理に続ける必要はないと思う。 次の誰かと共に成長すれば良いだけだ。 とにかく、まずは自分のことは自分で動いて、どうにかするしかないという事を肝に銘じる必要がある。 周りの人はヒントや手助けをくれるけど、どうにかしてくれるわけじゃない。 誰かが勝手に何かをやってくれて、自分の問題がなくなるわけじゃない。 その点を履き違えていると、自分の都合のよいものだけを求めて、結局スピ業界の放浪者になるだけだ。 スピの世界は楽しくて嬉しいだけじゃない。 時には自分の闇と向き合い苦しかったり逃げ出したかったりする。 逃げて放棄してしまえば、その時は楽になったように見える。 だからと言って逃げて何かが変わるわけじゃない。 結局同じ所をグルグルしているだけだ。 逃げ出さずにじっと待っていると、風向きが変わることはある。 どんな状況でも逃げ出さずにいることが大事だったりする。 ただ周り道を通らなくてはいけないことはある。 それを見極めることが大事かもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.09.27 20:21:49
コメント(0) | コメントを書く |