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カテゴリ:自分を見つめる
あ、OPENって行ってもお店とかの「開店」の意味じゃないですよ~。
どちらかというと、「公開」の方のopenです。 一般に人はポジティブ系のモノをオープンにしたがリ、ネガティブ系のモノをクローズしたがります。 時に逆の人もいます。 たまーに、両方ともcloseしている方もいらっしゃいますが。 基本私は両方ともopenかなぁ? closeしていることは、自分の中でまだ消化しきれてないモノや、時期を逃しちゃったものですね。 特にネガティブ系の喧嘩なんかは結構オープンにしちゃいます。 まあ、喧嘩なんて公でしようが、二人っきりでしようが、一対一なら別に何の問題もないと思うのですけど。 これを嫌がる人もいるんですよね。 理由は様々で、異常にプライド(羞恥心)が高い人が多いかな。 後は外聞を気にする人、自分は悪くない、と思いこんでいる人が嫌がる傾向がありますね。 経験上。 でもそう言う人って二人っきりの人目の無い所では、とことん、びっくりするくらい醜い主張をしたり、人としてあり得ん要求を突き付けたりする人が多いです。 思わず「てめーは何歳児だっ!」といいたくなるようなことをする人もいるし、卑怯卑劣な事を平然とする人もいます。 なので私の場合、外野が口を挟まない限り、基本オープンの、人目のある場所でやりたい人です。 冷静な第三者がいると、不用意に拗れることや、自分が訳分からなくなっていることに、気付かせてもらえるという利点もあります。 理性を働かせざるえないから、その場で酷いことにはならない。 偶に影でとんでもない卑劣な事をする人もいますが。 でもさ、自分が正しくて、間違ってないのなら、人目があっても無くても、どっちでも構わないと思うのですけど。 本当に自分が正しいなら、逆に外野は味方になってくれますからね。 つまり異常に嫌がる人は自分の主張がどれだけ醜くて、駄目なものか知っているともいえるのかも。 外野から駄目だしして、非難されるという恐怖があるのかもしれない。 そんな人目をはばからないといけない主張していることに対して、羞恥心は無いのだろうか? そういう行動をしていることに対して、改めようと思わないのだろうか。 他人に何かと言われるような言動をしていることに対して、直そうとか思わないのだろうか。 それとももう厚顔無恥の領域に入っているのだろうか。 喧嘩は、信頼できる相手なら二人きりの話し合いでも、十分に解決に向かって行くことが出来ます。 第三者の目があっても無くても、同じってのはある。 でも信頼できない、信用も無い相手の場合、下手に二人きりのクローズしてやると、泥沼化しかないんだよね。 相手が延々被害者意識で、うだうだねちねち言い続けて、進展も進歩もないことが多い。 それどころか自分の主張を全部聞き入れてくれないと、相手を極悪人のように言ったりする。 主張に道筋も無ければ、延々責任逃れの言葉だけ言い続け、同じ所をグルグルしていたりする。 そーゆーのはすごい疲れる。 エネルギーとられるだけだし。 なので基本はそーゆー人は最近避けます。 やばい、と思った時点で、遠ざけます。 それしかないんだよね。 結局私は私とちゃんと向き合える人を、篩にかけているだけかもしれない。 何でもかんでもオープンにして、シェアするというのは、そう言うことかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.10.03 20:35:49
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