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カテゴリ:自分を見つめる
先日お手紙のお返事を戴いて、その中のことがきっかけで思い出したことがあります。
私は小さなころから、それこそ小学校に入る前のころから、命の危機を感じながら生きていたことを。 私の母はかなり情緒不安定な方で、怒りだすと感情の吹き出しが強くて、手に負えない人でした。 それが世間にさらされることはありませんでしたが。 表では完全な母親を演じようと必死でした。 その反動か、幼い私が何か癇癪を起したり、いう事を聞かないことがあると、些細なことでもそのストレス解消するかのごとく、怒りだし、感情をそのままぶつけられてました。 時にはそれは延々と叩き続けらていたり、それこそ育児放棄寸前の状態で 「このままだと殺されるかもしれない」 という恐怖の中を生きてました。 時には絞殺されるかもしれない、という中必死で自分を守るために自分の正義を守るために、母親に対立してきました。 時にはただ甘えたくて、くっついただけで突き飛ばされ、家からも放り出されそうになったりしてました。 直接手をかけて殺そうとするそぶりは無いものの、 「この人は私が憎くて仕方ないんだ、私が本当は要らないんだ」 そう言うのが刻み込まれてました。 でもそれを小さな子供が言葉の語彙が足らない状態で言っても、誰も相手をしてくれません。 「貴方を愛しているから、厳しくするんだよ」 「貴方が悪い子だから、怒られているだけでしょ」 そう言われて、誰もその状態から助けてくれず、私は母親の機嫌の悪い時はひたすら身と心を守ることに集中してました。 時には忠告してくれる人もいましたが、逆に「家の恥を外に出した」といって、憎悪の対象にされました。 機嫌の良い時はすごい甘やかしてくれたりしてくれました。 必要で愛されている、とその時は感じてました。 しかし機嫌が悪くなると一転して、私は要らない不要な子供でした。 早く死んで居なくなればいいのだと思ってました。 実際にそんな事を言われたことは数限りなくありました。 母親の「完全な自分」演じれなくする、悪役にされて続けていました。 そんな命の危機を感じながら、育ってきたためか、幼稚園のころから、 「他の私を大事に育ててくれる人が居たら、この家から出れるのに」 と常に考えてました。 幼いころから私は、生きるにはお金が必要だというのを知ってましたが、それをどうやって得るのかを知らず、家出は出来ませんでした。 何時のころからはっきりしないけど、 「母親にとって、私は要らない死んで居なくなればいい子供だ」 と思ってました。 父親は「子育ては母親の仕事」という感じで関与せず、子供は何かあると自分の寛ぎ時間を邪魔するうっとおしいモノ、という認識でした。 何せ子供に向かって「寄生虫だ。居なくなれ」といった人でしたから。 その為か、私は生きることに関して、すごい欲求が希薄でした。 とにかく死にたい。 早くこの世からいなくなりたい。 それでも生きていたのはひとえに 「自殺したら、その場に縛り付けられる」 という話を聞いたからです。 こんな苦痛な世界に縛られたくない。 責めてもう少しマシな世界に行きたい。 という切実な気持ちがあったからだけでした。 話が少しずれているな。 そんな事をつらつらと思いだしてしまった。 まとまらないけど、取りあえず吐き出し。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.10.06 20:50:16
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