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カテゴリ:自分を見つめる
よく私が良く考えたり口にする言葉です。
どうでもいい。 それって何だろう、とふと思った時に、それが予防線なのに気が付いた。 「どうでもいい」 そう言って全てを放り投げたりする。 真剣じゃない。 本気じゃない。 だから何が起きても大丈夫。 例えないがしろにされても、 軽く扱われても、 全然平気。 辛くない。 いや、辛いんだよ、本当は私。 心の傷からがんがん血が流れて、痛くて痛くて死にそうで。 でもそれを毎回感じていて、辛すぎて、平気なふりをするために、そう言う様になった。 その呪文が自分に暗示をかけて、何事も平気で受け流せる「大人」になるようにした。 昔は感受性が強かったのか、物事に敏感だったのか、やたら傷ついて泣いているような子供だった。 母親はそれが鬱陶しかったらしい。 それくらいで泣いてどうするの。 本当に鬱陶しい子だね。 真面目に物事を捉えて、傷ついてバカみたいだ。 一々泣かないで頂戴、もっと大丈夫になりなさい。 泣けば何とかなると思っている訳? 真剣になるから駄目なんだよ。 もっと適当にやったら? 気が向いたらやさしい言葉をくれたけど、そうでないと心ない言葉を投げつけられた。 傷つく自分がおかしい。 平気じゃないとダメだ。 その色々考えた挙句に、そういうようになった。 真剣だから傷つく。 だから真剣じゃなくどうでも良くなればいい。 軽く扱われるのは嫌だ。 でもどうでもいい相手なら、何をしようと関係ない。 蔑ろにされたくない相手。 相手がどうでもいい人なら、ないがしろにされようが関係ない。 結果なんて望まないから、どうでもいい。 全部全部裏返しにした。 だから今余計に本当の気持ちが分からなくなっているのかもしれない。 蓋をして感じなくして、平気で笑えるようになって、「大人」になった。 でも結局蓋の下は相変わらず傷だらけで、治って無くて、激痛が走り、血が流れ続けている。 痛い。 泣きたい。 本当は諦めたくない。 本当は真剣に向き合っていたい。 どうでもいいと、投げ出したくない。 でも、辛くて痛いのは嫌だ。 これをどうしていいか分からない。 そこで何時も立ち止まる。 じゃあ、まず何をしようか。 痛みを感じて、治療しようか? それから痛みがなくなったら、ゆっくりと考えようか、一緒に。 そう泣いている自分に語りかける。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.02.27 20:40:35
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