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カテゴリ:自分を見つめる
当たり前の話だけど、私の中にはドロドロ、ぐちゃぐちゃな闇は存在する。
「魔」の部分も存在する。 やっぱり天分や生まれつき出恵まれている人がいると、嫉妬するし、僻むし、ヤサグレて 「どーせ私なんか」 っていう。 努力しても得られないモノを持っている人にはやっぱり嫉妬するし、悲観する。 あまりにもイジワルしたり、自分の良い分だけを押し付けたり、人のを奪ったりする人には恨むし、死を願うし、悪く言ったりするし。 確実に上や先に行っている人以外は、見下したり、馬鹿にしたり、批判したりする。 相手の悪い面を引き出しておきながら、 「ほら、やっぱりこの人はこのレベルでしかないんだ」 と蔑んだりもする。 自分の思うようにならない人に、当てつけたり、イジワルしたり、厭味な行動をしたりもした。 時にはそれらを自己正当化して、当然のこととしてふるまう。 そして常に自分が正義の如くふるまったりする。 それらをやっておきながら、認識できず、正しい道を歩んでいる、と思っていたこともあるし、それらはもうやって無いと誤認していたこともある。 とんでもないことだな、と冷静に思う。 それらの自分の闇を受け入れられるか、と聞かれたら、半分Yesで、半分Noだ。 闇の行動を引き出す相手が悪い、と言いたくなることも沢山ある。 でも、それらは自分の中にあるから引き出されるのであって、相手が全て悪い訳じゃない。 相手は自分の悪い所に気づいて直すための、鏡でしかない。 それに気づいて、心が痛くても、すり替えたくても、正当化したくても、目をそらしてしまいたくても。 それらを全て気づいて受け入れるしかないんだと思う。 受け入れて、それから「どうしてそうなったのか」を観ていかないと、昇華できない山なんだと思う。 卑屈になったり、自己正当化で固めちゃったり、責任転嫁してすり替えたり。 自分にとって一件都合の悪いそれらを、見ないふりばかりもしてられない。 目を逸らせて、光の世界に浸って、自己満足の世界に行っちゃうのもありだけど。 でも、いつか。 自分のそういう闇と魔と面と向かわなくてはいけない時来るんだと思う。 いや、光の世界に浸れば浸るほど、受け入れれば受け入れるほど、闇がハッキリと浮かび上がってくるから、嫌でも見ざる得なくなる。 光の世界で遊んでいるだけでは物足りなくなる。 「光の使命」ごっこだけでは、疑問が浮かび上がる。 でも、闇の行動を魔の行動をしている事を、最終的には自分で受け入れるしかないなっておもう。 誰かにOKを貰わないと、受け入れられないのだったら、それはまた違う問題がある。 今は未だ逃げたがってる。 でも必ず受け止めて、そこを昇華して行きたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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