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カテゴリ:自分を見つめる
メールの返信を読んで、一瞬妙な気分に襲われた。
書いてあることは何て事無いお返事なのだが、ちょっと気持ち悪く感じた。 なんだろうな、って思ってふと考え、思い当たってしまった時に、ふっと完璧主義プライド人格の貴夜美にスイッチする。 そして、思わず笑ってしまった。 本人の気付かないプライドカルマの表出がされていたのだ。 多分指摘されても、現時点では気付き難いし、認めがたいと思う。 それに気づいた貴夜美が見下しの笑いをした。 そしてまた主人格の私がそのことに気づいて受容をした。 ここから先が未だ動けない。 この手のプライドカルマの無意識の表出は実際に私が何度かやったのだ。 そして、どういう心理でどう思ってそれを書いたのか、手に取るように分かってしまった。 プライド人格がメイン人格だとを自覚してから、アレコレ気付きや指摘を受けたから、大体自分のどれがプライドカルマなのかが、それなりに把握しできるようになってきたから、分かることでもあるかもしれない。 その経験上、現時点で認めがたいような気がする。 ただ私とその人は同じようにプライドカルマを抱えていても、違うので、実際はどうなのかは分からない。 気付いたので取りあえずメモ。 放射能の問題が世間をにぎわしている。 実際に報道されない、健康的な被害が多々あるのはみんな気付いている。 気付きながらも知るのが怖いから、と見ないふりをする人。 気づいてネット上で調べて対策をとる人。 過剰に反応する人、他人事のように見る人、様々な反応がある。 どれも良いとか悪いとかいう問題では無いな。 人の生きざまの問題だなって思う。 自分はどうなのか、と言ったら。 「それでも生きて死ぬ覚悟をするだけ」 という答えが出た。 全てを受け止め、騒ぐでなく、覚悟を決める、と言う感じかもしれない。 私一人の人に関してはそうだ。 逃げるでもなく、騒ぐでもなく、今いる場所で淡々と過ごし、生きていくのだろう。 もしかしたらそういう人は多いかもしれない。 もし子供がいたら、どうなのか、と言ったら。 まず子供は無事にってことで、疎開させたり色々するのだろうな。 人として、それは当たり前の話じゃないかな。 無関心と受容は似ている。 外から見た行動は同じように見えることが多い。 でも、その質が全然違う。 愛が無いから、関与しないのか。 愛を持って関与しないのか。 その差は歴然として、出てくる。 無関心から受容へ。 それが今のテーマ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.04.05 20:46:49
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