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カテゴリ:自分を見つめる
まあ、ちょっとした気づきなのですが。
今までちょっとでも嫌なことがあれば、 「もう、どうでもいい」 と言って切り捨てていました。 どんなに頑張って何かやっても、結局私が悪モノにされて終わる、っていう刷り込みがありまして、その不快感を味わうことのないように、先にこちらが離れて行くという事をしていたのですが。 その離れる寂しさや辛さを隠すように、プライドが高くなっていったんだけど。 まあその時は、相手もグループを組んで、こちらが悪いようにアレコレ手を尽くしていたんだが。 それが分からず真っ直ぐに突っ込んで言った私は、よく他の方からの攻撃を受けて嫌になったんだよね。 1対1じゃないんだよ。 こういう時の女子の喧嘩は。 それから何かあって、そう言うことがあるとこちらが何を言っても、結局中心メンバーの意向伺って、日和見する奴ばかりで話なんて聞かないだってことで、そこの組織丸ごと切り捨てるようになった。 仲良しグループが嫌いになったのは、その辺りもあるかもしれない。 予定調和とか、ルールとか、色々あって、ちょっとでも不協和音があると、つまはじきにされる。 下手に素直に自分の気持ちを語ると、特に誰かと違う意見を言うと、それだけでグループから外される、っとこともあった。 本音を語れない仲良しグループって、本当に「仲良し」何だろうか? 「仲良しごっこ」でしかないのじゃないだろうか。 ともかくそう言うのを上手くやれるスキルが無かった私は、それだけで母の気にも触っていたらしい。 らしい、と言うのも日によって母の言動が真逆を行くのだ。 仲良しグループなんて辞めろという日もあれば、何でグループで仲良く出来ないのかと罵る日もある。 こちらの気持などお構いなしで、自分の感情のままにヒステリーを起こしていた。 どうでもいい、と言うことはそういうことの積み重ねでの結果の行動でしかないのかもしれない。 本当はどうでもよくなかったんだけど、こちらの気持ちを伝えても、何を言っても私の意図はちゃんと伝わらず、結局相手の都合の良いようにしかとられない、と言う結果の積み重ねでもある。 もちろん、私の伝え方もあまり良くないものがあったかもしれないが。 でも結局人は自分の都合の良いようにしかとらず、相手の事を知ろうとなどしないのだ。 本当に仲良くなる気などなく、自分の都合のいい人だけを都合の良いように使いたいだけなのだ。 そんな奴らに労力をかけるだけ無駄だ。 と言う怒りから、結局相手を見下し、人の言うことは社交辞令で本当の事など無いんだ、というプライド人格的な見方が出てきたんだろうな。 あ、だから私が怒りを出す時に、プライドが混じって感じるのは、結局そういうことかもしれない。 で、ちょっとだけ嫌なことがあって、どうでもいいと思ったけど、でも同時にどうでもよくないなと言う、心理状態になりまして、今までの切り捨て感がかなり減っていたのに気がついた。 プライド人格が動く、ってのはこういうことなんだな、って実感しました。 でもまたそろそろと浸食され始めて来てるので、今のこの状態キープはなかなか難しいかもしれないけど。 何せ長い間、殆どをプライド人格で過ごしているからね。 直ぐには他の人格や主人格がメインにはならないな。 まあ、貴夜ちゃんが本当に動いたなら、今までとまるきり同じ見方や捉え方はしないと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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