|
カテゴリ:自分を見つめる
面と向かって人に自分の気持ちを告げなくなったのは、何時からだろう。
いじめで人間不信に陥りながらも、気持は伝えようと頑張っていたのは20代の途中までかな。 でも何を言っても結局伝わらない、と実感して、表向きだけニコニコしてればいい、相手に合わせていればいい、適当にうわべだけ付き合えばいい、と言う方に気づいたらなっていた。 心を閉ざし、特に職場で友達を作ろうとも思わず、会社だけの付き合いでいいと。 もちろん“派遣社員”という立場があった、ってのもあるのだけど。 それでも怒りの感情は抑えきれず、いつもイライラしていたな。 多分とっても怒りやすい嫌な人だったと思う。 仲良くしたい、と思っても「鬱陶しい」と言われて敬遠されることも多かった。 喋りやすくて気が合うな、と思った人でも影で馬鹿にしたような悪口を言っているのを知ったりしたのもあるのかもしれない。 私は物事を言う時に結構直球で、オブラードに包めなかったので、それが怖くて逃げている人もいたらしい。 思ったこと、感じた事をそのまま言うと、 「身も蓋もない言い方をしないで」 とよく言われた。 「ではどう言ったらいいの?」 と聞いたら、 「そんなことも分からないの」 と言われて、機嫌を損なって口をきいてもらえなくなったこともある。 結局すべを知らないまま、今まで来てしまっていた。 人によっては誰かにそれをやっているの面白がってはやし立て、それでそれがその人の方に向くと、瞬時に手のひらを返して、悪モノにされることもあった。 私はやっている事は同じなのだが、その人は自分以外の他人がそうやって言われるのが面白かっただけのようだ。 たぶんここでも、私は人と言うモノは、自分の都合のいいものだけを受け入れて、自分の立場が危うくなったり、怖かったりするものから逃げるんだ、という事が刻み込まれている。 かなり狭い視野でしか物事を見てなかったため、余計にどうすればいいのか分からなかったのもある。 親に相談しても、罵られて、「お前が悪いだけだ」としか言われない。 何の解決も得られないので、親に相談する、と言う選択は学生時代に捨てていたのだけど。 経済の勉強をした時に新しい視点や考え方を教わって、それでだいぶ視野は広くなってきたのだけど、逆にそれがプライド人格に力を与えてしまったのだろう、と今は思う。 でもその時に視点や考え方を教わって、親の言っている事がかなり視野の狭い歪んだ視点だと気付けたのは、有難かった。 それまでもおかしいとは思っていたが、何がどうおかしいのかがハッキリしなかったから。 そんな感じで今まで来てしまったので、自分の気持ちの伝え方や、ハートに沿った言動、と言うモノがさっぱり分からない。 想った事を相手にぶつけることさえ出来なくて、影で愚痴を行ったりしている。 そのまま言ってもどうせ伝わらないし、怒って悪者にして、影で散々悪く言い合われるだけだと思うと、更に伝える気にならなかったりする。 それでもやり方が悪くても、伝えたくて行動しようと頑張っているが、今までのカルマパターンで、思わず言えなくてそのままだったりする。 言えたとしても、やはりカルマパターンに沿った言動でしかなく、結局上手くいかなかったりする。 今までは、それで落ち込んで感情に振り回されていたが、でも本当はそうじゃないんだよね。 何が悪かったかをちゃんと考えて、改善して、積み重ねることが大事なんだよね。 思い出したのだが、失敗しても幼いころあまり落ち込まず「次こうしよう」と思っていると、私が失敗しても堕ち込まない、悲しまないってことをすごい母親に人としての感情を持たない非情な子だ、と言うような感じで罵られて、泣きだすまで罵詈雑言を言われてたな。 落ち込むと逆にそれくらいで落ち込むな、って怒られ。 自分の思ったパターンで私が動かないってことで、すごい言われようだったな。 そうやって考えるとうちの母は本当に情緒不安定で、コントロール支配したがった、困った人なんだなって思う。 まあ、成人してからうちの母親には罵詈雑言を吐いたので、お互い様かもしれん。 ともかく何時から、と言うにはハッキリしたものは出てこないけど、相手への理解して欲しい、という欲求を表向き諦めた辺りからなんだろうな。 理解されなくていい、理解されないものだ。 相手に言っても伝わらない、分かってもらえないものだ。 そう言う諦めが結局自分の気持ちを本当に伝えず、内に籠り、ハートを閉ざし、相手を見下し諦め、ストレスをため、怒りっぽい性格になっていたのだと思う。 たぶん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|