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テーマ:たわごと(26829)
カテゴリ:その他諸々の事
昨日まで二日間、発熱して(多分風邪、喉痛かった)いました。
そして今日思ったのですが、人間そういう時の方が変な雑念やエゴや余計な想念に囚われなくて済むんだなぁってことです。 ただ大変な目の前の事だけをやっていき、そういった色々な想念は蚊帳の外になる。 だから淡々と物事をただあるがままに捉え、あるがままに対応していく。 気持ちに余裕があるから、色々なエゴや権利や想念やらを振りかざして、またはそれらに振り回されて、余計に物事が拗れていくのだろうなぁ。 でもそう言う物事に引っかかるのは、必ずその人の中に、何らかの傷があって、それがその人の中に拗れていっているのだとは思う。 怒ったり笑ったり泣いたり悲しんだりは、普通にある事で。 それでもやっぱり過剰だと、何かがあるんだろうなぁって感じる。 引っかかった場合は、やっぱり一つづつ、自分で中を探っていって、時には自分の暗い想念の闇に飛び込んでいかないと、その引っかかりは何時までもあるものなんだと思う。 誰のせいでもなく、自分の外ではなく、自分の中にその答えはある。 それをちゃんと癒して治して昇華して行かない限り、その引っかかりは無くならない。 先日あるスピ系の人が、 「この世界は末法の世の中で、本当の法はまるきり届かない。 だから今ある法は全て間違いで、本当の方の世界には闇もネガティブも陰もない。 光や陽だけで完全にバランスの取れた世界。 アセンションで来るのは、そんな世界。 だからこそ今ある闇やネガティブは捨てて、手放していいんだよ」 と言っていた。 あ~の~な~~~~~。 確かに、今のこの世界のいわゆる国の法律関係は、確かに宇宙の法則から外れている事も沢山あるさ。 いわゆる常識や良識と言われているモノの中にも、たくさん宇宙の方から外れている事もある。 ちゃんと宇宙の法則に基づいたものもあるんだけどね。 それさえも無視していいというのは、いくら何でも横暴過ぎだと、改めて思う。 宇宙の法則は例えどんな現実の中でも、ハッキリと息づいている。 まるきりその法則が働かないことはありえないのだが。 それに自分の中の闇やネガティブを切り捨てるってことは、自分を切り捨てることだけど、本当にそれでいいってのはおかしい。 って言ったら、鼻で笑われたが。 大元のニュースソースは違うような気がする。 なんかあの人の言ったことは、あの人の都合のいいように翻訳されて取捨選択されて、言っている気がしてならない。 たぶん、そうやって闇を切り捨てないと光に届かないという誤解がある。 自分の闇や醜さを見なくて認めなくていいという、自己都合が入っている気がすごいする。 ハッキリ言うが、宇宙の法則はそんな甘いもんじゃない。 何処までも人の選択に寛容だが、その選択のつけはしっかりと払わせるくらい厳しいものだ。 光が強くなれば強くなるほど、闇や醜さはハッキリくっきり現れる。 それを斬る捨てるということは、宇宙ではありえない。 強いて言うなら海が自分で塩分を排除しようとする位、無謀な事だ。 不必要な魔に属するものは、確かに避けていいと思う。 足を引っ張る泥船や、落とし穴は避けた方がいいし捨てた方が良い。 でももしそれに乗ったり堕ちたりしたとしたら、そこはその人のカルマもあるのだと思う。 光にだけしがみつく人は、自分の中の闇には耐えられずに精神崩壊を起こす。 自分の闇に耐えられない人が、他人の闇など、到底受容できない。 闇に落ちて苦しむ人を助ける事など、絶対に出来やしない。 だからこそ綺麗事だけを繰り返し、人に寄り添う事など無い。 もしくは蚊帳の外で分かったような事を言うだけだ。 そんな事をつらづらと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.05.11 20:59:59
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