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カテゴリ:自分を見つめる
昨晩、何故か感情が噴き出した。
「死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい。 何で生きているんだろう、私。 死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、……」 何があったという訳ではないと思う。 強いて言うならアンダーグラフの「2111」をYOUTUBEで聞いた位かな。 だからと言ってそれが死にたい気持ちを増長する曲でも何でもなくて、前向きに今できることは何だろうって曲なんですが。 でも何故かそんな気持ちになってしまって。 前まではそれが出て来たら飲み込まれて、そのままずどーーーーーん、と落ちていたのだけど、今回はそうではなかった。 「ああ、なんか懐かしいなぁ、ようやくこれが出てきたか~」 というなんかのほほんとしたような、感覚があったんですね。 そしてまあ、このまま無理に押さえ込まずに、そのまま流してみるか~、と思ってしまうあたり、やっぱりちょっと違うかもしれないです、今までと。 そもそも「死にたい」というのは十代半ば過ぎから、30になる位まで、ずーっと何処か常に思っていたモノで、事あるごとにその感情に掴まってました。 だからこそ結構投げやりに生きていたところもあって、でも同時に投げたくなくてもがいてもいた。 でもどうしても死ねないなら、生きるしかないなって感じで、方向転換したのですが、やっぱり昇華している訳じゃなかったんだな。 でもこのままずーっとこの内部吹き出しをしてても、おさまりようがないなって思った時に、ふと気付いたんですね。 あ、そーか。 私は生きるのが辛かったんだ。 全てがどうしていいか分からなくて、もがいてもがいて、でもこの暗闇から出る術が何処にもないように見えて、だからこそ全てを投げ出して終わらせたかったんだ。 すごい大変だったね、辛かったね、良くそれでもがんばって生きてきたね。 と「死にたい」を繰り返している私に向って行ってみた。 ら、やっぱり号泣した。 辛かった。 嫌だった。 誰か助けて欲しかった。 側にいて欲しかった。 そんな気持ちが噴き出してきた。 だから言ってそこで終わった訳でなく、そのまま全て逃げ出したい気持ちを引きずってしまった。 下手したら人格統合さえも、そのまま投げ出したいような感じで。 いや、だからね。 貴方がやりたくないのなら、やらなくていいんだよ。 他にやりたい子がいてその子がやるから。 何ならどっかべつの場所に行っても良いんだよ。 何処にでも行かせてあげるよ。 と言ったらなんか黙り込んだ。 でも全てがもうどうでもいい、という気持ちはやっぱりなかなか抜けず、今日一日おかしな感じでした。 本当に独りよがりで、閉じこもって全てから遮断されて居たいような。 うーん、誰だろう、コレ。 律に似てるけど、律とちょっと違う様な感じが今はする。 ひなよりは大人な感じがする。 プライド人格の根っこに近い感じかな。 ヤサグレの極まったのかなぁとか、怒り人格かなぁとか、色々照合してみたけど、ちょっとずつ何か違うような感じが、今はする。 暫くしたらもうちょっとハッキリするかもしれない。 取りあえず、多分、プライドの貴夜ちゃんとヤサグレのゆいのコラボという事で。 どっちだろう? ちなみに現在進行形で、やっぱり全て放棄したい感じはある。 ま、好転反応だろう、多分。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.07.09 20:42:21
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