|
カテゴリ:自分を見つめる
人格統合をやっていると、抑圧していた気持ちを相手に伝える、というワークを勧める(勧められる)事がある。
これって実は「絶対」じゃないんですよね。 でも結構ワークを進められると、それは絶対にやって失敗しちゃいけない、って思う人が多いみたいです。 違うんですが。 しかも失敗の定義が絶対的に違うので、とにかく行動出来たら成功だったりします。 結果はどうあれ。 怖いとか色々と感情が上って来て、どうしても身動きが取れなくなっちゃうような人には、まず伝えなくて良いから、紙やPCなどで、書いて自分の中から出すことを勧めます。 そうしたら自分の中の混乱(している事が結構多い)が納まるし、エネルギー的にも冷静に伝える事が出来るようになる。 (私が結構良くやっている方法だったり) ただ、人格統合の準備ができてない人は、このワークを聞いた途端 「何でそんなことしなくちゃいけないんですか~~~~っ」 って怒ってくる事がある。 結構、抑圧良い子人格を大きく持っている人は、そう言う拒否反応が起きる見たいです。 表面的に穏やかにして自分は全てのドロドロを受け入れて、学びが終わったつもりみたいで、何かやることによって、波風が立つのを嫌っているだけな人は、結局何の課題も越えてないし、クリアもしてない事が多いみたいです。 内面恨みつらみが渦巻いたままで居たい人は、別にそう言うことはやらなくても良いし、それはそれでずーっと怨念を抱けばいいので、私はそう言う人は放置しちゃうんですけど。 「そんな嫌われる事や悲しませることしたくないから、やらない」 って言う人もいる。 でもそれって結局相手の都合の良い自分を演じ続けているだけで、本当の自分は受け入れられてないのだけど、それでいいのだろうか。 もちろんそれでいい人はそのまま生きていけばいい。 ただそうなると相手のために作った自分と、本来の自分が分裂したまま、なんですよね。 統合されることは、まずない。 別の見方をすると、信頼していた人の姿が、嘘偽りで、自分に対してのみそうしていると分かったら、どう感じるか、なんですよね。 私は嫌だな。 どんなに嫌な人でも真っ直ぐに本心を言ってくれる人を信頼する。 自分に都合のいい人であれば、相手がどんな人でもいいなら自分もそうして生きればいい。 それが嫌で本当の意味で誠実で曝け出して欲しければ、自分も本来の自分を曝け出した方が良い。 結局自分がどうありたいか、なんですよね。 でも意外と人は、他人の本心などどうでもよくて知ら無いまま、自分に都合の良い役割を演じる事だけを要求してる人が多い気がします。 それが一昔前に流行った「KY」という言葉に現れているのかなって思います。 KYの何がいけないのだろうか。 抑圧しあって、自分が本音を抑圧しているから他人も本音を抑圧するべきだ、というならば、それこそ傲慢以外の何物でもないような気がします。 自分がやりたいなら、他人の強要する必要などないし、自分がやりたくないなら、やらなければいい。 それが出来ないからと言って、他人を巻き込む事だけはやめて欲しいかな。 本心を抑圧するってのは、ある意味自分を大事にしてない、蔑ろにしている事に繋がる。 それで本当に良いのかな。 私は嫌だぞ。 だから自分を貫こうと真っ直ぐに向き合おうと、頑張っている。 時々ヘタれるけどね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|