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カテゴリ:自分を見つめる
昨日、PCを落としてから、改めて大島の着物を眺めていたら、不覚にもあまりの嬉しさに泣きそうになった。
本当に傍から見たら馬鹿みたいかもしれないが、嬉しくてうれしくて仕方ない。 早く秋になって、着て出かけたいって思った。 そしてそれを分割で買ってしまったのだが、これのためだと思うと、仕事でも何でも頑張れるな、どんな状況もへこたれないな、って思った。 強いて言うなら待望の子供ができた親の気持ちに近いかもしれない。 大事なもののために、何でもできる、と言えるような感じ。 多分だから子供のいる大人って、色々な意味で芯が強いんだなって思う。 数年前に船井幸雄さんの著書で、好きなもの・得意なものに関わって長所を伸ばしていくと、自然と短所は改善される、って言うのを読んで、ちょっと不思議な感じを受けたが、でも確かにそうかもしれない。 好きなもののためなら大変なことは大変だけど、苦労というか無理とかそういうのもあるだろうけど、そう簡単にリタイヤはしにくいだろうなって思う。 好きなもの・大事なものってのは、人が踏ん張るための力になるな。 そして知らず知らずに成長していくのだろう。 だから何でもそうだけど、好きなものや大事なものが多い人は、芯が強いと思う。 逆にちょっとした壁や躓きで、それらを簡単に放棄できるなら、それは本当に大事なもの・好きなものじゃないのかもしれない。 もし簡単に放棄しても、やっぱり放棄しきれずに取り戻そうとするのが、多分本当に好きだという気持ちなのだと思う。 そう言えばリラの交流会で、好きでワクワクするということは、主人格に近い気持ちだと教えてもらった。 だから好きな事をする事を推奨されたのを思い出した。 そしてそれは逃避じゃなくて、自分を大事にする事でもあり、パワーになるのだと。 なので好きなもの大事なものを、それをする時間を自分に与えることは、大切なのだと。 そうやって考えると、着物にハマる前、しばらくの間特にそうやって馬鹿みたいに好きだと思う事って無かったかもしれないな、って思う。 ただこの好きでうれしくてうれしくて、という気持ちが湧きあがるのに、すごい時差があってそっちの方が困りものだと思った。 あまりに嬉しすぎて、逆にストッパーがかかったかなぁ。 なんでもかんでも抑圧しないように、気をつけないと。 ストレートに気持ちを感じるのが、意外に難しくて、びっくりする。 抑圧が癖になっていて、自分の気持ちが直ぐに分からない。 少しづつ外していけたらいいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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