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カテゴリ:自分を見つめる
小さい頃を思い返すと、理解されずに怒っている私と、色々と許されなかったためにびくびくとして、親の顔色をうかがっている私を感じる。
多分幼い頃に既に分裂していたか、しかかっていたんじゃないかって思う。 エネルギーとしては、律と貴夜ちゃんかなぁ。 母は怒る時はとことん怖かったから、怒られるとたくさん叩かれたから、そうならないように気を使って居た半面、自分の気持ちは絶対に譲れなくて、負けたくなかった。 でも明るく前向きにしていれば、優しくしてくれたからそうふるまいもしたからな。 それ以外は怖くて怖くて、すごい嫌だった。 本当なら、ほかに育ててくれる人がいたら、家を出たい位に嫌だった時がある。 時々、以前に我儘言って外に出された時、もしそのまま家を出て、警察にでも保護されて、養子に出されていたら、人生変わったかな、とも空想もした。 それくらい家にいるのが嫌だった時期がある。 小学2年生の時は、本当に誰か親戚に家に厄介になれないかを真剣に考えた。 でもどう考えても、私を育てくれそうにないと感じたので、それを実行はしなかったけど。 そんな話はもちろん母にはしなかった。 したらヒステリーを起して罵って、下手したら叩かれるのが分かっていたから、言えなかった。 些細なことでヒスられて叩かれて、毎日泣いていたこともある。 多分小学2・3年の頃だと思う。 泣いて抗議したら、「怒られる事をするからでしょっ!」とヒステリーが返ってきた。 そうやって怒らなくても分かるって反撃したら、されにヒステリーが増加した覚えがある。 この辺りから死ねばいいって思い始めた気もするが、あまり覚えてない。 ただその辺りから、私の事を愛している訳じゃなく、世間体があるから育てているんだって思っていた。 それが無ければ、私は簡単に捨てられるんだと。 ああ、これはネグレスト未遂事件があったからだな。 余計にその思いが強くなったし、だからこそ下手に世話にならないように気をつけたり、余計な介入をされないように気をつけ始めたのもその辺りの様な気がする。 貴方の為でしょ、って言われる度に、うそつき、と思い始めたのもこれくらいの時かな。 とにかく母の事を信じなくなっていたし、父に関しても私の事など、どうでもいいのだと思い始めていたな。 兄はそこまでは無かったけど、でも本当は兄も私などいない方が良いのだと思っていた。 人など誰も私の事なんてどうでもいいんだって思っていたし、愛される人間じゃないという思いがあって、自己アイデンティティは完全に無くなっていたな。 多分。 傍から見たら十分に愛情掛けて育てられているように見えたかもしれない。 でも完全に愛情不足で、誰からも愛されてないって思っていた。 愛されているように見えても、全部見せかけの偽物しかないと思っていたし、全部世間体のために愛しているふりをしているだけだと思っていたし、当時の私にはそれが真実だった。 実際、何度となく、母からは産まなきゃよかったとかいなければ良かったのに、と言われたし、兄にもいなければ良かったと言われたし、父からは寄生虫だと言われたし。 そんな中、どうやって愛されていると実感できるのだろうか。 本当の愛情があったとしても、斜めにみて、本当は違うんだよな、って感じてしまったために見えなかったことがあるかもしれない。 でも、やっぱり、否定され続けていたら、素直に取れなくなる。 素直に喜んだら、その後にバカにされたり怒られたりするから、用心深くするしかないと思った。 素直になればなるほど、馬鹿にされてからかわれて、さらに余計に酷い目に会うって思った。 だからこそ余計に警戒した。 私は本当は要らない子。 誰からも必要とされない。 そう言うインプットをいつの間にかしていた。 ああ、だから余計に、色々なものがどうでもいいのかもしれない。 大切にされた覚えが無いから、本当に大切にする意味が分からないし、どうしていいかもわからない。 なんか、本当に欠陥だらけだな、自分。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.03.21 22:24:25
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