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カテゴリ:自分を見つめる
前回のセッション時に、何故か引っかかったことがある。
何故自分はやたら「まとも」というか「普通」になりたがるのか。 答えは簡単にできてた。 散々母に「貴方は普通じゃない」と言われ続けたからだ。 普通の子とは違う、何で他の子と同じようにできないの。 なぜあなただけ違う事をするの。 貴方だけ他の子と違う事をして、お母さんは恥ずかしい。 そんな事を言われ続けていた。 何をしても最初は認めても、周りと比べて実はあまりあるケースでないとわかると、手のひらを返して、責めた。 また最初あまりにも、周りと違う事をやっていると言って責めておきながら、ほかにやっている人が近所にいると分かると、ころりと態度を変えてすり寄ってきた。 また周りと同じことをしてても、いつまでもそれをやり続けて、一人だけになると早く辞めろと事あるごとにせっついた。 それで何時も「貴方のためよ」と言う顔をする。 気持ち悪い。 自分の為だろうが、嘘をつくな。 思春期以降はそういった事もあるし、喧嘩して口をきかなかったり、怒鳴って拒否してやったこともある。 でも事あるごとに「何で貴方は周りの普通の女の子と同じ事が出来ないの、どうして普通の女の子にならないの」と言ってきた。 しらねーよ! んなもん、興味ないよ。 何故それが行けない訳? ママ友と会話が合わないからって、私のせいにするんじゃねーよ。 一見認めるような事を言っておきながら、周りの人との会話が合わなくなると私を責め立てて、そんなの私のせいじゃないよ。 うぜーよ。 そう言ういらだちと共に、普通にならなきゃ、という強迫観念も受けつけられていた。 普通にならなきゃ、自分が普通じゃないから、幸せじゃないんだ。 普通なまともな人にならなきゃ。 そう思いつつも、その「普通じゃない」という言葉に、アイデンティティを依存させていたこともある。 風水やら何やらにハマった時に、自分の行動パターンが幸せになるためにやってはいけない、パターンに悉く一致してたのも、拍車をかけたかもしれない。 自分の親がまともな親じゃない、と言うのは高校生くらいの頃から勘付いていて、でも抜け出せなくてもがいてて、どうしようもないのだと諦めたのはいつ頃かは覚えてないけど。 ただ普通じゃない、と言うのは親の刷り込みと共に、自分で本などを見てどう仕様もないのだと、でもなんとかしなきゃというのがずーっとあったのに気付いた。 それが無意識下に潜り込んだ状態で、今あるのだと気付いた。 結局自分で今の自分を認めてないのだ。 認めたつもりでいても、それは表面的なものだけで、奥底ではずーっと自分を責め続けていた。 同時にまともでない親を、いつまでも恨んでいた。 子供っぽいと言われても、でも許せない。 どんな事情があろうとも、子供の気持ちを無視して自分の思い通りになるお人形を欲した人を、許せる訳が無い。 死ねばいい。 苦しんで死ねばいい、絶望の底で死ねばいい。 今も願っているし、かつてどれだけこの手で殺す事を想像したか。 だからこそ親が困っていようが泣いていようが、喧嘩しようが罵られようが、冷ややかに見ている。 そのまま苦しめ。 それしか思わない。 ああ、そうか。 まともになりたいってのは、この親のあり方そのまま引き継いだのを辞めたいってのも入っているな。 そう言う意味では、当たり前の感性なのかな。 でも普通とかまともとか、て何だろうな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.05.02 21:09:20
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