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カテゴリ:自分を見つめる
一種の護身の一つだったんだが、抜け出せなくなってること。
話をしてて、偶に疑うことがある。 特に会社関係の人とだと、あまり深入らない深入らせないのが、鉄則になっていて、余計に疑ってかかっている。 この人本当に笑っているの? このヒトの本心は何処にあるの? 影で一体何を言っているんだろう。 特に愚痴で無くて、悪口を言う人には余計に警戒する。 本当の事を言っても、後で笑いものにされるだけ。 そう思うと自分の事など話せなくなる。 この人はこうするんじゃないか、この人はこういう嫌な事をするんじゃないか。 そんな嫌なパターンを想像して、当てはめてみる。 そして違った場合も、でも今は違うだけでしょ、いつかはそうするでしょ、という疑念が離れない。 大丈夫だ、と思うのは、叩きつけた事を受け止めながらちゃんと話をしてくれる人だけ。 それ以前にその疑念さえも叩きつけずに、内だけで疑念を膨らませ続け、壁を高くする。 そんなことを繰り返す。 以前、いじめを受けていた前後は、そうしないとどうなるか分からないから、見に付けた護身法でもある。 先に警戒して疑っておけば、後で何があっても大丈夫だし、本当の事など一切言わないから痛くも痒くもない。 そうしていた。 そうじゃない人にも、下手にアレコレ言っても、どうせウザがられて離れていくだけ、と言うことがあり、それで余計に疑って、最初から傷つかないように警戒していた。 反動で、そうじゃない人にはとことん依存する傾向もあるな。 そんなこんなで警戒し始めた人、この人は好意を持ってないなと感じた人には、とことん警戒するししゃべらなくなる。 そんな風になっている。 それを崩す、のはやはり怖い。 抜け出せない。 受け入れてくれる、と分かるなら踏み出すが、それもどうかわからない人には、やはり踏み出せず壁を作る。 多分それが行けないのだろうとは思うのだけど、でも出来ない。 表面的な、「仕事だけ」の関係は楽。 適当に合わせておけばいいだけだから。 それ以上となると、警戒する。 壁はそう簡単には無くせない。 今の現状として。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.05.03 22:09:49
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