|
カテゴリ:自分を見つめる
昨晩、マイミクさんがチェックされていたある人のブログを見に行った。
今世間を騒がせてる、色々なことに対しての怒りが書かれていた。 読むと真っ当と言えば、真っ当な怒りに見えるんだけど、なんか一種の気持ち悪さを感じた。 それが何だか分からなくて、思わずそっちに焦点を合わせてずーっと探って行った。 もちろん、いい大人が自分の事を名前で呼んで、ブログで書いている辺りも、いい子ちゃんっぽくて、好きにはなれなかったのはあるのだけど。 でも、その怒りが一種パフォーマンス的に見える、と言うのも原因かも、と思い至った。 確かにその怒り方は一見真っ当だけど、でもある種、自分がそう言うことに怒れるくらい真っ当なんです、というアピールにも見えてそれが嫌な感じを受けたのだと思う。 それと言葉の使い方から心の底からの怒りじゃねーな、という印象を受けたもアピールに見えた原因かもしれない。 いくら「●●はね、とっても怒っているんです」と書かれても、いやそう書かれたから余計に思わず、あんたは本気で怒ってねーよな、と突っ込みたくなる感じだった。 同時に自分の中にも周囲へのアピールで怒ってみせたり、悲しんで見せたり、困って見せていることがあるからこそ、余計にそう感じるのかもしれない。 何故自分がそう言う事をするかというと、何も感じてない、ただ当たり前のようにやると顰蹙を買ったり、ぶてぶてしいと言って、上の立場の人から目をつけられたりすることがあって、それを避けるためにそう言うふりをしているからだ。 それを避けるためにほかの人が困る場面では困って見せ、確信犯でもついうっかり、と言うようにして見せる必要があって、それをやっているからだ、と気付いた。 リラではやって無いけどね。 やるだけ無駄だし、そもそも周りに対していい子ちゃんをアピールする必要ないから、最初からやろうと思ない。 体当たりで本当にやらかす時はマジで分からずにやらかしている、かな、多分。 実際にその人がアピールで怒っているのが、本人にとっては本気で怒っているのかは知らない。 アピールと本気とを区別できない人もいる。 なのでそのこと自体はどっちでも良い。 ただ自分の中にそう言う保身があることに気づいた。 で、これをやっているのは誰だろな。 貴夜美か陽ちゃんか、両方か。 今はこれをやらなくて良いならやらないけど、でも自分の火の子がかからないためにも、社会一般に対してはやっておかなくちゃいけない、という認識。 それでいーのか、自分。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.05.27 22:17:16
コメント(0) | コメントを書く |