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カテゴリ:自分を見つめる
昨日CS面談があって、言葉の使い方を注意された。
注意されたと言っても、具体的には「~~しないとできません」と言うより、「~~すれば案内できます」いう言い方をすると、同じ事でも印象が違うから、言い換えてねって話なんですけど。 面談をしてくれて管理層の人も、言葉の使い方がうまくて、あまり頭ごなしに怒るというより、アドバイスをしてもっと良くして行きましょうね、といういい方だったので、こちらも素直に、じゃあ、頑張ろうと思った。 そこで気付いたんだけど、自分の気持ちを表現する時の事でも使えるな、と。 表現して否定されるのは、相手が否定したくなる単語を使っているかもしれないな、と。 その単語を言いかえれば、変るのかもしれないな。 だからと言ってどの言葉が引っかかるのかなんて、そう簡単に分かりはしないのだけど。 何せ使う方は無意識に使っているからね。 しかもそのバックグラウンドには色々カルマやらトラウマが潜んでいたりするから、余計に難しい。 後はその人の家で使ってる言葉の文化もあるのかな、と思った。 ウチの親はどちらかと言うと、プライド張りの上から目線の否定言葉の方が多い。 それが日常にあるため、やはり言葉は無意識に同じものを使うようになる。 それが余計な反発を生んだと、今では分かるのだけど、当時は何が悪いのかさえ分からなかった。 ただ言葉が悪いと言われても具体的でないと本当に何がどう悪いか理解なんてできないんだよ。 親にちゃんとした教育を受けていればわかる事も、教育されないのでわからないまま来ていることも沢山ある。 でも具体的に示されても、相手を責める響きや言い方があったり、見下されて言われても素直には受け取れないな。 だからニュートラルの意識が必要なんだな、って思う。 感情を込めるな、と言う訳でなく、バランスが取れたものが必要なんだな。 それが分かったからと言って、直ぐに治すことが出来る訳じゃないので、なかなか難しいのだけど、でも、意識しているかしてないかで、気付くことと行動することは出来るようになるかもしれない、と思った。 同時にそう言う指摘をフツーに、被害者意識もプライドの反発もなく、素直に聞けた自分にびっくりしたけどね 苦笑 ちょっとづつだけど、リラで勉強している成果が出てるなって思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.06.10 22:37:56
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