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カテゴリ:自分を見つめる
今、カイロに通っているんだけど(あ、数年前とは違う場所です)、ここは前払い制と言う所。
2か月くらい通ってみる予定で始めたんだけど、ふと、 「自分の体に、メンテナンスに、お金をかけるのはいいことだ」 と言う誰かの言葉を思い出した。 思いだしたというより、その言葉を自分がお金を使う言い訳に使っている感じがした。 実際にカイロに通うと身体が楽だし、疲れにくさを実感しているから、通いたい訳で、それでちょっと高くても通う価値があると、自分が判断すれば、お金を使えばいい訳なんだけど、でもなんかわざわざいい訳を探すのって何だろう、と思った。 なぜそんなにお金を使うことに、言い訳をするのだろう。 ふと思ったのが、お金を使う事をやたら制限されて使うモノによっては罵られていたりすることが原因かな、と思う。 ウチの親はお金を使わないでいるとそれをケチと非難して、また使ったら使ったで、使うモノに対して「そんなものにお金をかけて」と文句を言うという、かなり訳の分からん人です。 たぶん自分が気に入るか気に入らないか、それで世間がどう思い評価するかが基準だったんだよな、と思う。 そしてそれをそのまんま引き継いでいるんだよな。 だから誰も何も言わないのに、一生懸命理論武装して、お金を使うことに非難・批判されないように自分を固めている。 実際に20代前半はお金を使うことに、何処かびくびくしてて、買ったりするものが非難されないようにしてたり、ある時を境に買ったものを見せなくなった。 自分が気に入って買ったものを、ボロクソに言われることがあったからね。 そうして親に隠れて自分の気に入ったものにお金を使うようになった。 ばれないように気を使っていたな。 ばれたら頭ごなしに非難される・批判される、否定されるって思いこんでいる所がある。 そうしてびくびくしてるのが、抜けない。 結局自己喪失状態のまま、なんだなって思う。 これらを引き起こしているのが、りつなのは分かる、けど、でもりつはまだそこから抜けれない。 怖いから抜けられない。 ただ今の怖いに縛られてる状態からは、抜け出したい。 そこから先がまだ出てこない。 まずはそこからやっていくか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.06.12 21:27:33
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