|
カテゴリ:自分を見つめる
昨日何であそこまでムカついたかってのを振り返ってみた。
もちろんこっちのプライドも入っていたけど、一番は 「間違いの謝罪がない」 という点だった。 これって本当に人のことなんだと思っているんだっ! ってマジで思う。 自分の間違いを認められず、こっちの言う事を無視して、自分が悪くないって顔をしたり主張をする奴がともかく嫌いで。 その根っこがうちの母なのが余計にムカつくんだけど。 母は自分が悪くても、絶対に認めないし、逆に相手が悪いと逆切れして怒るし、自分の目下には謝る必要はないと言い放つし、責任転嫁して、自分だけは悪くないと言い放つし、本当に最低な親だ。 挙句に逆恨みして呪詛を放つような感じ。 本当にムカつくし、相手の事なんて丸っきり無視だし、それがともかく嫌。 人の事をとことん無視して、相手を踏みにじることが平気なのがともかく許せん。 挙句の果てにそう言う事をやった事さえもなかった事になっている。 どれだけ醜く落ちぶれれば気が済むんだ、と思う。 だから余計に自分が悪い、と分かったらそれは全力で謝罪して治そうとすることに繋がっているんだけど。 でも、それに対する私の対応がともかく餓鬼すぎて、そこは猛烈に反省。 怒りにまかせてやることやらずに放棄するなよ、とかそこんところを抑えて、ちゃんときっちりやった方が大人として格好良かっただろう、とか。 でも前から怒り過ぎると、今まで積み上げてきたもの、持っているモノ全てをぶち壊してでも、自分の怒りを認めさせることに躍起になる所があったが、それが未だ残っている。 多分それだけ自分の怒りを無視されて蔑ろに親からされてきたことが、あるんだと思う。 自分の怒りを認めさせるために何が起きても構わない。 例えそれが結果として、自分で自分の首を絞めることになったとしても。 方向性がマゾだよな、これ。 もう少し違う方法を考えた方が良いのかもしれん。 なんか本当に私は「認められる」と言うことに飢えてるんだな。 自分の主張を無視され続け、自分を無視され続け、哀しくて仕方なかったんだな、と思う。 それが今の全ての色々な根源的なもの、だと思う。 ここを埋めていかないと、多分何をやっても同じことになる。 たぶん今までのアレコレは、ここを埋めるための手段にすぎなかった。 でも埋められなかった。 その為に色々と歪んで行った。 参ったな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.06.29 22:37:15
コメント(0) | コメントを書く |