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カテゴリ:自分を見つめる
昨晩、伊藤先生のブログの、プライド人格の記事に、思わずイラッとした。
イラッとした後で、しばらくしてから、プライド人格が反応したことに気づいた。 おせーよ、私。 反応した内容はまずは、 「しつこいっ!」 と思ってしまった所。 実は昨晩のはプライド人格の記事が3連続だったのだ。 正確には4連続。 そこまで言われなくても、自分で分かっているし、そのまま行く気もないし、分かって無い事もあるけど、でもそこまで言うかっ! と思ってしまった。 これがまんまプライド人格の反応なんだけど、しばらく気付かなかった辺りに自分のヘボさに凹んだ。 「プライド人格2」までは、心当たりがあり過ぎて、笑うしかないというか、その通りだし負けるもんか、みたいなのが出てた。 「プラド人格3」だと、私はそこまでほかの人格を操作してないっ!ってのが出てきた。 いや、確かにある程度の操作はしてるんだけど、そこまでえげつなく使ってない、と思ってしまった。 それこそ自分の誇りにかけても、そこまで落ちぶれたくない、と、私の表に出るプライド人格は思ったりもした。 ま、自分が気づかなければ、みっともないことを平気でやれてしまうから、そこを気付き続ける必要があると、思っているけど、なかなか難しい。 一方で、それを無視してとことん落ちぶれてどうでもよくなれ、と思っているのは、無気力自己卑下の方。 それこそ、その無気力と自己卑下をなんとかしようとか、そう言うのは出てこないし、自己卑下の自己憐憫に浸って、そこから出ないためなら何でもやる。 それこそプライドカルマをもって、とことん追求をかわし続ける。 伊藤先生のブログにあるあの操作そのものを持って。 どんなにそれがみっともないことで、嫌で、這い上がりたいかを伝えても、 「面倒、辛いの嫌、そんなことしてどうなる、頑張ったって意味がない」 から一歩も出ないし、下手したら他の人格を操作して、あっさり追求をかわす。 かわされる主人格もヘボいけどさ。 その結果どれだけ落ちぶれても構わない、みたいな逆開き直りがあって、そこまで落ちたくないプライドとのギリギリの均衡を保っていて。 リラ行く前には、その落ちぶれを直視できずに、プライドで外固めていたんだけどさ、今まで。 でもそれって格好悪過ぎだろ、ってことに、気付いてなんとかしたいけど。 けれどまだその自己卑下にハマると、抜けださせないことが多い。 それこそその自己卑下を正当化する為に、どれだけでもみっともない事をして平然としてる。 気付いてなんとかしたくても、現状はそっちが強すぎて太刀打ちできない。 まだ把握できてないけど、もしこれが、もう一人プライドが居て、その操作だとしたら、そのプライドを首根っこ捕まえるしかないな、と思う。 そして改めて思ったのが、自分はプライドカルマをそのままのさばらせておきたくない、と心から思っていること。 ただその思いがまだまだ弱過ぎて、太刀打ち出来てないこと。 いや、でも、太刀打ちできるようになってやるもん。 負けない。 余談だけど。 プライド人格と怒り人格がいたらどーなるか。 私の経験上、プライドは怒りを悪者にして封じ込めようと躍起になる。 封じ切れずに怒りが出たら、その後始末に躍起になって、変な自己正当化をして、さらにプライドで外を固めるか、後でその怒りを見下して自らバカにして、さらに自分を貶める。 それくらい頭悪いです、プライドは。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.07.03 21:08:25
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